64(弱くて・バカを許容できないか)

2015/07/29(水曜日)


 今日は、お医者さんの診察日だった。お医者さんの意見だと、僕は一時的に調子を崩していると。季節の変わり目で。それで、1月からなんですと、答えてみた。

 どうですかと聞かれ、僕が安定していると言ったら、薬が合わなくて失調したという意見のようだった。薬を増量したので、抑え込めるとの意見のようだった。



 僕の意見は違う。首が動いていて、これが動いているうちは、よくなる可能性があると踏んでいる。この調子の悪さも続かないと見ている。終わりがあると思っている。思い込みという意見もあるけれど、そうは思っていない。
昨日の、「少々つらくなるかもしれない」という感想は、作業所の唯一無二の人の口調を真似たもので僕の喋りではない。

 薬を処方してもらって、安定していると思う。今日の行きの交通機関と作業所は、排除してやるという感じだった。午後から調子が上向いた。





 病院で本を読んでいた。


・反福祉論 新時代のセーフティネットを求めて、金菱清・大澤史伸、ちくま新書、2014


 福祉のサービス等から漏れる人たちをどうやったら救えるか、みたいな本です。弱者の救済でしょうか。福祉反対のような直接的な本では全然ありません。


・弱さの思想 という本をジュンク堂から頼みました。



 反福祉論p74あたりのレジリエンスのあたりを読んでいて、僕はバカにされることを許容していない、やられてしまうことも許容していない、と気づいた。

 殴られてもいいとは思っているけれど、ぶん殴りに来たらぶん殴って、敗北は許容するみたいな感じだった。ではなく、最初からやられてしまうこと自体、僕が強くないことを認め、完全なる負けを認めてしまう作業をしていない。


 バカにされることも許容していない。なめられたり、見下されたり、貶められたり、パワー的に知的に下に見られることを拒んできた。これを最初から許容していきたい。


 弱くてバカな自分の場所に満足することはできないか。納得の生活のやり方で。
自分自身の弱さ加減、バカ加減に納得・満足を認め、自分の場所として許容できないか。