59(納得の生活2)

2015/7/24(Fri)


 今日も作業所では普通に過ごせた。僕の言う普通は、伸び伸びとではなく、いじけているけれど、圧力があまりかからなかったという意味になります。僕は自分を抑え込んで生活している。それがベースになっている。言いたいことはそこではありません。



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 作業日は毎日はんこ押しを400枚やっています。それの最後の方で、自分のやることに満足していいのではないかと思った。小さいことをしているけれど、その小さい中に自分の場所を見つけ、自分のしていることの中に満足を見つけていく。

はんこ押しの最後の方で、上手いからではなく、やっていることの中に満足した。行為に充足を感じた。一時(いっとき)だけれど幸せだった。



 極論すれば、えらい人がえらいことをしているから納得するのではなく、トイレ掃除を仕事にした場合でも、自分の持ち場を守り、駅のトイレ空間を清潔に気持ち良い状態に保つこと自体に満足することができるはずだ。

もちろん、使い方が悪くてほとんど怒りを感じることもあるかもしれない。使用者に諦めて妥協点を探ろうとするかもしれない。
でも、持ち場を守ることに充足して、えらい人より幸せなことだってあると思う。(賃金が安いので納得できないことは多いと思う。)



 言いたいことは、やっている中身や行為の社会的な評価ではなく、行為自体に自分が納得と満足を見つけるという、どんな内容だって満足できる、自分で満足を見つけるという、納得の生活をすることができると思う。
職業に貴賤はない、社会的な評価にもでもなく、自分で見つけるものなのかもしれない。

納得の生活は自分で誰でもどこでもいつでも、どんなことにでも、つかめるものだと思う。