負けと敗北だろう。よく抱きたまえよ、きみ。はい、と僕。


2015/05/18(月)


 坂東玉三郎日本橋を見てきた。映画館。

 映画はわかりませんが、よく練られていて、場面を丁寧に描き切った良いものだと思いました。ラストはアンハッピーエンドでしたが、よかったです。シネマ歌舞伎のシリーズです。サブウェイのサンドイッチを食べて帰りました。


 日経ビジネスアソシエ5月号で、朝原宣治さんが取り上げられていて、

変人の域まで突き詰めて練習しないとダメだというような発言があり、どのような練習をされてきたのか興味があった。


 僕は性を抑圧し、統合失調症で他の人にリーチがかからない、個として弱い状態がずっと続いてきて、これを脱出するためにずっとやってきて、流れでよくなってきたけれど、自分でよくしたという意識はない。

ただ、気の持ち方は工夫して練ってきたつもり。そこに僕の工夫がある。

朝原さんから学び盗もうと、肉体マネジメントという本を買った。幻冬舎新書。軽く読める本です。



 僕の良い点は、気の持ち方をリニューアルし続けているところ。そこしか美点はない。調子自体は僕には制御できない。たえず受け止めるだけ。


 今日の日本橋の映画を見て、よかったけれど沈んだ気持ちをずっと抱いて地下街をサンドイッチ屋まで歩いた。

前に書いたように、草のようにそこに生えている場所でただ不平を言わず茎を伸ばすだけだと思う。僕は、不利な状況や、不利な感情を嘆き過ぎている。

ただ不利を抱き、不利を噛みしめ、自分の中で感情を熟成させればいい。不平を持つことではなく、radioheadの歌詞世界のように受け止め前を見て歩いていけばいい。

僕に必要なのは、不利を抱き、保持し、熟成させる、受け止め聞く耳を持つことを常にやり続ける、荘子の完全なる受け身を実践すること、

不利を保持し味わい、拒否することではない。僕は自分の負けを認めていないらしい。負けを受け止めきれていない。

これから爺になるけれど、爺に片足から両足へと足を踏み入れるけれど、老いも受け止めなければならない。老いは弱さと敗北だ。精神は前進するかもしれないけれど、全体的には負けを認めなければと思っている流れだと思う。


僕は負け人生を歩んできたし、しばらく負け人生を歩かなければならない。


僕の根幹は、弱さと敗北だと思う。

受け入れ認めることができるかが課題だと思う。




 新しい種は、リコーダーと歌。伸ばしたい。土台は負けと敗北だろう。よく抱きたまえよ、きみ。はい、と僕。