型を極めれば魂は宿る か???


2015/5/16(Sat)


・ 今日は帰りにスーパーの壁に転がっていた缶ビールの空き缶(250mlくらい)を、片足で立ててきた。それから自転車に乗って帰った。


・ ここ3日くらい、「型を極めれば魂が宿る」という、よく言われるらしい言葉に惹かれている。

りっしんべんの生という、僕の内向から脱出するツールを気にかけていて、動作の時に、姿勢に、動きにりっしんベンの生をそこに宿そうとしている。


 これが重要になったのは、僕は、

日経ビジネス(アソシエ)2015/6 100%伝わる話し方 の号に出いてた掲載

ケリー・マクゴニガルの成果を上げる教室
lesson12「負の連鎖」に負けない


で、挫折反応という言葉が出てきたから。くじけていじけた状態。これを脱出するには、僕の話だと、服を作るという目標があるとしたら、みんなにセンスのいいのを出したいというのがあったとして、その初期の目標を思い出して初心に再接続して脱出するというもの。


けれどこの作者の方、自己評価が高く安定しているという人だと思う。僕は、自己評価が低く不安定だと思ので、参考にならない。また、僕は家で何もしない日もあり、夜も寝てしまったりする。(昨日は少し寝小便をした―汚・きたな!) この状態は嫌だ。


 それで、型を極めれば魂が宿るということばを思い出した。インターネットによると

山上宗二

という茶人の言葉らしいです。
僕のやる、掃除、リコーダー、手芸などでも、動きの形を意識して、りっしんべんの生をそこに込めて、それを動きのそこに現前させようとする、そういう流れにまず型を作り、

型を意識(型というのは、僕にとっては動きのこと)し、型の中にりっしんべんの生を流し込むという流れで、挫折反応から脱出させようとするもの。

 この動きの・型を意識し、そこに心を込める・りっしんべんの生 を込める、その実践を通して、自分を活性化できないかと思った。


 運転ゲームでも、自分の走りというのより、自分の型をもつようにしていけばおのずと、スピード・アクセルも、ハンドルも、ブレーキも、変速も定まってくるのではないかと思う。



 今までは、心の内面の下支えがないと続かないし、できないと・取り組みのこと 思ってきたけれど、型の中に、型の中という表現はおかしく、型自体に心はおのずとこもるものだと思う。

型は味気ないものではなく、型を通して型に心が宿るのだと信じたい。この言葉にすべてを預けて再出発したい。内向の、内面とはサヨナラしたい。