小さくなっている草

庄司紗矢香N響、ヴァイオリンを弾く姿はすごかった。

ぶっ潰しの、仏像彫刻の人かと思った。

顔と、身体の使い方が恐ろしい人に見えた。これが世界レヴェルなのでしょうか。



2015/05/10(Sun)


 調子は悪くもなく良くもなく。


・ 金曜日に、高速交通機関の窓から景色を見ていて、沿って白樺が一本生えていた。2メートルくらいの細い若木。森の中ではなく、公園でもなく沿ってポツンとあった。それを見て、条件に関係なくやっているのだなと感じた。条件に不満を言うのでもなく、与えられた中でやっているのだなと。

 それを見て、他の緑を見てみると、雑草も、木も、自分に与えられた条件に文句を言わず、その中で懸命に生えていると思った。



・ そして今日、夕飯前、パソコンを見ていて、そろそろご飯だと思った。おなかが空いてご飯をもらえるありがたさを思った。一人前持ててありがたいことだなと。
この2つのことは、ありきたりだけれど、僕にとってはそういう回路が持てたことが大きな進歩だと思った。


・ 運転ゲームは、3日前、運転は未来を予測しながらするものだと思った。カーブに来て操作していたら、深くきり過ぎてしまう。カーブに来てこのくらいと予想を立てて、運転しないと失敗する。

今日は、カーブにもずっとカーブしているのと、カーブのきつさが緩んでまたきつくなるのとか種類というか、形が違うなと思った。

そしてベタ踏みする癖は、僕の頭が硬直化している証だ。他人の褌・ふんどしで相撲を取ろうとしている。自分のための運転なら柔軟にできるはずだ。


・ 生活でも言える。こうしなきゃが多すぎる。自分のための人生なら硬直化せず、柔軟にできるのではないのか。僕は頭が硬く、ガチガチになっている。僕は他人を生きようとしてきたのではないのか。


自分のための人生とは、小回りが利いて、対応力があり、独創性があり、プライヴェートなものになると思う。ひそやかな一本の草のようなもの。

・ 僕は作業所では、息を殺して小さくなっていると思う。