小学生の頭を持つものとして(48歳), 小目標:

追記

・ カフス、襟、肩に接着芯を貼るのが終わりました。


・ 昨日の作業所で、布巻きハンガーを4・5本作ったのですが、その時、最後に頼まれて作ったのが、またやるのかとなってしまった。もうやりたくない、もういいのになあと。そういう中途半端な気持ちで、投げやりに作ったので、決まるところが決まらず雑になってしまった。分解対象になるかもしれない。

仕事学のすすめ伊藤真さんのように、その時々の課題を作らないと、その課題以上のことはできないし、目的があいまいになるみたいな文章があった。

そのように、ぼくもやっつけでやらずに、決めるところは決めようとか、またかにならずに、丁寧に巻きをやろうとか、課題をもてばよかったなあと。またかの時に、目標を掲げればよかったと思った。後の祭りだった。






2015/04/16(Thu) 作業所休み


 小学生の頭を持つものとして(48歳)、恐縮ですが、・・・

 昨日は、夜何もしないで寝てしまった。今日振り返って、リコーダーを吹くのも気が引けていたし、シャツを作るのも気が引けていた。分析すると、僕はいっぺんに多くリコーダーを吹こうとし、たくさんシャツを縫おうとした。
 

 今日考えたのは、僕はいっぺんに進もうとしいた。そのいっぺんにというところだけれど、大目標と今日の目標の分離ができていなかった。


 シャツを縫えるようになる、リコーダーを吹けるようになるという大目標がある。けれど、今日の目標は別だ。今日の目標をそれにしてしまうといっぺんに変えなくてはならない、それに向かって大量にやらなければならない。


 そうではなくて、今日の目標なら、リコーダーを3曲だけ吹いてみる。もっと小さく1曲を3回吹くとか、細かく分解し小さいのを実践する。



 シャツなら、完成へ向けてたくさんやらず、1工程、接着芯を貼ることだけを今日の目標に掲げる。要は、僕は大目標を今日の目標にしようとしていた。今日の目標を掲げなければならなくて、それは小さい工程に分けて、小さい工程をできてよかったねとすればいい。

 僕は毎日小さい目標を掲げ、小さく進んでいけばいいことになる。
 
 大きな目標は地図になるということだと思う。




・ 作業所には、唯一無二の男性通所者がいるのだけれど、僕はその人の影響を受けている。その人が作業中会話をするのだけれど、その人は認識しているということが最近分かってきた。

 僕はその人に宗教やっているかと聞かれ、浄土真宗と答えた。五木寛之の影響を受けての僕の発言だった。宗教勧誘を阻む防衛策のためもあった。

僕が親鸞聖人のというと、その方は、南無阿弥陀仏の他力本願だと僕に言った。その人は宗教のことを勉強していた。それで、その人の作業中の会話は思い付きばかりでなく、認識を踏まえているということがわかった。


 僕は認識してこなかった。内向してきたので、エネルギーが内向きで外に向かわなかった。


・ ゲームの運転に使う、ハンドル台(サイドテーブルちゃっちっちいの)が届いた。

グランツーリスモ(tokyo)を始めた。

 今日はまっすぐ進むことが多くなった。スピードの出しすぎ、横滑りが多かった。

スピードを落として、コースを1周まともにできるようになることが目標です。ブレーキ、アクセル、ハンドルの使い方がまだわかっていない、どれだけ使うかがはっきりしていない、アクセルを踏み込みすぎたりする。