読書

ラジオで聞いて前から気になっていた曲、juy miyake 13曲目 flutter、  サンプラザ中野の曲とともにダウンロードして購入した。この曲はものすごく好きだ。

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作業所の土曜日のラジオで、サンプラザ中野の曲が流れた。僕の青春時代に活躍した人。爆風スランプ
dj-g3 feat.サンプラザ中野

男らしい歌声で、この声と迫力なら仕事を続けられるだろうなと思った。youtubeで見つからず、amazon 視聴を載せてみました。

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2015/03/22(Sun) 日・月曜日は作業所休み 


「 読書 」


 ・ 図書館で衣服解剖学を読んだ。本のタイトル通り、解剖学という感じなってきた。骨の名前や筋肉の名前が出てきて、今は首の部分を読んでいる。そんなの知らなくていいよ、という感じだけれど、読んでいるので、著者にくっついていっている。瓶の中にいる蟻を小枝でつつくような感じの読書。細かい。



 ・ PHP Business THE21  2014/10 No.359 できる上司&できる部下の「人間関係術」 を読んでいる。今読んでいる人はいないと思うけれど、買ったとき読まなかったのでいま読んでいる。できる人になりたいわけではなく、上司との関係をどうするのか知りたかったから。僕は何も知らない。
この本で、三木雄信という人を知り、英語は1年でマスターできる、という本を買った。


 この本に出てくるその人の説を読んだというより、その存在を知って、そこから広げることができる、読書できるという部分の影響が大きいと思う。今、伸びている会社は何が違うのか? の企画、北尾吉孝の古典を読み、それを経営に生かすというスタンスは面白いと思った。
澤田秀雄の低いところを伸ばす、弱いところを改善するというのもおもしろかった。ハウステンボスの冬の集客を高めるため、イルミネーションを行ったとか。

 トップの戦略眼のコーナー、カルビーの松本晃も、結果を出すために道筋を考えると、目標が決まればやることも決まってくる、目標は簡単で達成可能でなければならない、という僕向きの考え方。


英語が途切れてしまうのも、目標が高すぎるから。小さい目標にしたらどうだろう、一冊終えるのではなく、章ごとに区切る目標、小っちゃい目標をやったら達成したと区切ること。延々とやり続けるのではなく、ばつとハサミで区切る
。ワンシーン終わったら、達成したと喜び、褒美を自分に与え、どこかへその達成を発表する(外人と会話するとか)、そういう回路が必要な気がする。妄想か?


 鳥越淳司は、目標を決めたらそこまで走り抜けると、これができるからこれをやろうではなく、目標への道筋を作りながら、そこを超える努力をしながらたどり着く。練習なしの、本番だけの目標への一直線。

 この雑誌は面白かった。



・ いつも評価が高い人VS.なぜか評価が低い人 というのも買ってある。これは最新号。



・ さっき書いていて引っかかったのは、練習なしというところ。ぼくが本を読むのは練習だ。読書は練習のため。本番は別にある。そうではなく、目標のため本を選び読み、実行し、練習は要らない。財産としては必要だけれど、練習は必要ない。

僕は練習のための行動がほとんど。本番を別に設定している。これは間違っている。僕が立ち止って足踏みしてしまうのもこの辺にある。

本番の読書、本番の行動、本番の財産(自己投資のための読書)としないと、練習で終わってしまう。今まで練習ばかりだった。結果のために毎日がないとだめだ。練習のための毎日になってしまっている。

練習を捨てて、目標という結果を出すためにすべてを組んでいかないと、ぼくはすぐ爺になってしまう。発想は変えないといけない。




・ 雑誌カイ(KAI)も読んでいる。特集 青森を探しに行こう この特集を読んでいて、自分の歴史を思った。いま僕は開かれつつあるけれど、これまでの鬱々とした毎日と時間をどう処理するか。忌まわしいのか、これからの目標に没頭し、過去を忘れるのか。



・ 布のいのち 人の心、くらし伝えて、堀切辰一、新日本新書、1990 という、前に読みかけになっていたもの。この本で、布のなかった時代、継ぎや刺し子で布を補強し大事に使った。布にこころを込めた。貧しくてみじめな時代だった。この時代をどうするか。ぼくは障がい者ファッショナブルな服を提供したい。

センスがよければいいのか、きれいであか抜けていればいいのか。この惨めな、布を大事にした時代を土台に考えないと、浮かれてしまう。安くて早くてファッショナブルではないはずだ。
違う価値観が必要だ。手作業で、プライドがあり、少し高くなる服。着る喜びがあるはずだ。着れてうれしいと。粗末にしないで、大事に扱う服。


 過去は重んじるべきだ。僕の精神障がい者としての暗い時代を否定すべきではない。そこは土台だ。動けず、手足を縛られて転がされた時代、そこが出発点で、発想のはじまりでないと、僕は目を閉じて進むことになる。

だからこそ、少し動ける今を大事にするとか。動けるから、過去を思い出し、反芻する時間を設けるとか、忘れることではないと思う。過去を忘れて、目標にまい進するのでもなく、過去と未来と現在をよく見ていないと。