僕はヒネクレタやつなのかもしれない。

2015/1/11(Sun)


 俺は女の子っぽい。




・嫌われる勇気、岸見一郎・古賀史健、ダイヤモンド社、2013


 この本、対話形式でくだけた会話で進行するけれど、要点は押えているし、知りたいことは全部書いてあるみたいだ、すごくいい本だと思う。精神科のお医者さんに勧められたけれど、最近読んだ本の中では圧倒的に影響力が大きかった、僕はこの本に書いてあることを全部自分のものにしたいし、使っていきたい。それは僕自身が人間の基本が何一つできていないからだと思う。良い点はあるけれど。

 副読本として、

アドラー人生を生き抜く心理学、岸見一郎、NHK出版、2010

を読み始めた。嫌われる勇気で触れられていないことも書いてある。



 嫌われる勇気、は2回目の読みとして、p178まで来ている。交通機関で赤ボールペンを握り締め、膝のリュックの上に本を広げ、セッセと読んでいる。

p120を読んでいて、

引用(kurage0147130)
:~もっといえば対人関係を回避するため、ただそれだけのために他者の欠点をでっち上げているのだと? そして他者を「敵」と思うことで逃げているのだと? 
~ (嫌われる勇気、からのkurage0147130の引用終わり)


p149の文章を読んでいて、気が付いたことを本に赤ボールペンで書いた。本では嫌な上司の話題だった。
気がついた点:

・仕事をしたくないから、みんなに好かれようとする。

・みんな嫌いだから、みんなに好かれようとする。


p164 自分のことを嫌っている人のいる人生、を読んだ時の感想(帰りの交通機関での読み)。


・ほかの人が認めないのではなく、僕がみんなを嫌っている。
(ここまで到達した・その経緯を下に書いています。)


 嫌われる勇気を読んでいるおかげで、今日は飛躍があった。

 僕は作業所で布巻ハンガーを作っているけれど、失敗作も量産している。前回の壊したときは、僕の率は、20%か40%だった。今回は25%だった。僕は駄作を作るのも高率だ。けれど、失敗作と呼ぶけれど、トライしての失敗だから課題が残っている。これから修正しようとすれば、油断せず目配りして、丁寧に集中して、ポイントを押えるという要点を突いていこうとすれば、失敗と呼ぶより、僕の課題が増えた、と呼ぶこともできる。僕には課題がたくさんあるとか。


 それで、ハンガーをバケツのぬるま湯に漬け、接着剤の木工ボンドをゆるませるのだけれど、頭に僕が壊す率・パーセントを思っていた。僕は25%で、あとは全部年配の女性ではないのかと。別の男は全然失敗していないのではないのかと。だから年配の女性の率は75%ではないか。年配の女性は駄作を作る確率が高いと。女性はひどいなあと。女性に対して冷たい感情を持った。女性ひどいオーラを僕はたくさん出した。女性に伝わったみたいだ。

 分解してみて、女性は25%、おとこが50%と思われると判断した。女性は悪くない。


 僕は女性がひどいと思ったけれど、本のように、僕は女性を嫌う目的があり、女性を最初から排除したかった。それがたまたま今回のハンガー壊しで表面化しただけだ。

 僕は作業所でみんなに認められないのではなく、僕がみんなを嫌って遠ざけている。嫌っているのに好かれよう、認められようという心理状態らしい。ハンガーの時の、年配の女性も、女性が僕を嫌っているのではなく、僕が女性を嫌っている。


 僕が小さいころ母に食って掛かり、母に人のせいにしないでと言われ僕が止めたのは、僕は母が大っ嫌いだという基本的な立場があって、それを抑圧したのだと思う。僕は世界が大っ嫌いだったのかもしれない。

椎名林檎の闇に降る雨を聞きながらこれを打ち込んでいる。


☆ となれば、僕はヒネクレタやつなのかもしれない。 ★