尻の穴の小さい僕がいた。

2015/1/8(Thu)


 今日は作業所で面談があった。僕は嫌われる勇気、で傷つくのを極度に恐れているのかもと言った。

 今日は自分のことがよく見える日だった。僕は傷つくのを恐れるのがすべての核になっていないか? 僕のすべての行動は生活は傷つくのを避けようとしてできていないか。


 マフラーの女性とも、僕は終わったと思っているけれど、 その終わったというのは、僕は女性を縦の関係で下に見ていた。僕にとって得がないと。僕は女性の身体を得て、顔を得て得しようとしていただけだ。僕は女性から搾取しようとしていた。女性と付き合うというのは、得をするのではなく人生がシンクロするというだけで別々の道を歩くことで、マフラーの女性は彼女の人生を進んでいく。僕は僕で自分の人生を進まなくてはいけない。

女性を損得で見てきた。
女性は得するために存在するのではなく、別々の人生だけれど、ささやかにシンクロしよう、程度のものかもしれない。一緒にいれば骨肉(こつにく)の争いになるかもしれないけれど、

僕は他人である女性、付き合ったとしても他人であり続ける女性にずっと橋を架けようとするだけなのかもしれない。

 女性の存在がどうとかではなく、僕自身の問題の気がする。僕は子供だから、その辺がわからなかった。ずるいし。汚いところがある。


 マフラーの女性は別の男と付き合っているので、これからどうのこうのではないのかもしれないけれど、僕は間違っていることになった。尻の穴の小さい僕がいた。


 僕はこの間、ブログに父に傷つけられたことを羅列した。その後から父を見るとイライラした。嫌われる勇気、によると、僕は父に復讐しようとしているらしく、父に冷たく当たった。父を邪魔物のように思った。けれど、4日くらい前に、父の課題と、僕の課題は別物だと。僕は父を愛するという手もあるなと。父の晩年に父を邪険に扱うのはズルいとも思う。

 父に優しくするという僕の立場もあるなと思った。



 昨日は英語とフランス語をやった。手芸は本は読むけれど手を付けていない。失敗が怖いのだと思う。