嫌われる勇気③


2014/12/22(Mon)4


嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教え、岸見一郎 古賀史健、ダイヤモンド社、2013



P70~


読者(kurage0147130):


 僕は能力がないと思っているけれど、能力がないにどのような意味を与え、解釈するかは主観的であると。ここは素朴に本を自分にあてはめ、勝手に理解したところ。


 人は上達したいとか、優越性の追求と呼ばれる、前に進みたい欲求を持つ。劣等感は、克服しようとする意味において健全に作用する。菓子作りが下手だから、練習してうまくなりたいと研鑽を積んだり。

けれど、劣等コンプレックスというのはこれとは違う。こちらは、僕には才能がないから菓子作りは無理だ、Aさんの方がうまくて、僕は下手くそで無能力だと打ちひしがれたり。劣等感を言い訳に使い出したら、それは、上達したくないということ。

菓子作りに興味をもてなくなったり、女の子と話すことの方が楽しく思えてそちらに力を入れたりして、菓子作りに打ち込みたくない、変える勇気を持っていない状態。菓子作りが無能だというのは、やらないための言い訳であり、菓子作りがうまくいかないと無能力は何の関係もないのに関係性を求める気持ち、因果関係をそこに見ようとする「見かけの因果律」という状態だそうだ。

僕は劣等コンプレックスの持ち主で、見かけの因果律を多用する人間になる。



 今日は、昨日の読書で、僕は人間関係を避け自分の殻に閉じこもってきた、傷つきたくない、傷つくのが恐ろしいということから、人間関係を持ちたくないという逃げの姿勢をもっているとわかった。自分の構造が露(あら)わになった。

それで、1回だけ、作業所の人に話しかけてみた。僕には前進だった。人間関係を持つことを逃げている、それに対抗したいと思ったのだろう。



p91 「人生は他者との競争ではない」:

 この小見出しのところは、僕の人間観が変わったところ。ぜひ本を見て理解してみてください。引用しません。