作業所 休日


2014/12/11(Thu) 木曜日 作業所 休日



 植木鉢のヒヤシンスは順調に大きくなっている。音楽(内田光子:ピアノ協奏曲モーツァルト)を聞きながら土を見ていたら、ムカデの赤ちゃんがいたので真っ二つに鋏で切った。ナメクジの赤ちゃんもいて同様にした。

 これは結局、僕にとって都合の悪い命は切り捨てるということだ。土はあらゆる命をはぐくむ。僕はヒヤシンスだけに許可を与えるという、自分の都合だけを押し通したことになる。


 ラーメンを作った。アサリを茹で、ナンプラーに醤油、ごま油、豆板醤、にんにく、胡椒とつゆに加えた。アサリは生きていた。茹で殺しにして食ってしまった。命を奪い、僕の命を長らえるのに利用した。


 映画さよなら銀河鉄道999で、機械人間は生身の人間の命を奪いカプセルにして食っていた。それが暴かれたとき、なんて機械人間はひどいやつなんだと思ったけれど、主張はヒヤシンスと同じではないのか。
人間は自分の命を生かすために、ほかの命を奪い、味覚に訴え、栄養をつけ、うまいといって、食って殺してしまう。ひどく利己的なんだ。
人間は命という目で見ると、利己的でしか存在できない存在だ。暴力に満ちている。最低だ。最低のところに核心がある。最低だとわかっていて、ほかの命を奪い、うまいと言い、自分の命を長らえる。そういうどうしようもないところから出発している。始めっから間違っている。


椎名林檎の闇に降る雨まできた。5曲目。


 ずるくて、利己的で、暴力的で、わがままな、他の命によりかかる存在、どうしようもないやつだ。
よくわかって殺る(やる)しかない。
米を食べても野菜を食べても同じだ。

特別なことを言っているのではなく、すごく普通の主張だ。





・自信をもてない人のための心理学、フレデリック・ファンジェ、紀伊国屋書店、2014


 読み終わった。これからがスタート地点。作業を遂行できるか。今日は休みなので図書館に行って、これを読んだ。誰でも読める本だ。

でも、この本に行き着いたのはいいことだった。



 昨日、ニヴェアの缶を買ったけれど、冬の雪の絵が描かれていてかわいい。肌がカサカサだったので、手に塗った。すぐによくなった。


<作業>

第15章 自分の<思い込み>から自由になるトレーニング

状況:

 作業所でほかの人が会話している。僕は聞いている。僕は会話に参加していない。僕なしに会話は進行していく。僕からは会話に入ることはほとんどない。僕がしゃべらないまま会話はどんどん進む。

感情:

 孤立感、疎外感、寂しさ、迫害感、被害者意識


自動思考:

 僕はいなくてもいい、仲間ではない、あっちへ行け、どうでもいい存在


僕の姿勢:

 背中を丸めて下を向いて作業をしていて、他の人が視野に入っていない。

 ほかの人をよく見ると、会話も僕を排除しようとしてやっているのはなく、リラックスした雰囲気で自由に進んでいる。

 最近僕の首は伸びてきて、僕自身がリラックスしてきて、こういう感触の被害者感はなくなりつつある。

それと、被害者意識を持つときは、僕は消えた存在だと感じるけれど、自信がないせいで、僕自身はいろいろ活動している。

 僕はいろいろな活動をしているのだから、存在しない、何もないと寂しさを募らせたり、被害者感を持つ必要はない。僕はゼロになってしまう感じを受けるけれど、僕の活動はいっぱいあって、all or nothing の考え方は偏っている。

 僕にはいろいろな能力がある。シャツも作るし、革も縫える。木に触って交流できるし、ヒヤシンスを育てている。音楽を聞いたり、本を読んだり、自分の枠を広げられる。

 本にあるように、自分のいいところをもっと評価して高めた方がいい。