エリクソン、自我同一性

2014/9/27(Sat)



 熊谷陣屋、見に行った。中村吉右衛門の直実は、最初は怒りで表現しているのだろうと思った。声の出し方がすごく、ものすごい表現力だった。見得を切ったり、足を出したり、言っている意味はよくわからないけれどものすごかった。

 最後の出家の場面では、感情を爆発させ、悲しみ、全身で表現していた。地位や名誉や金ではなく、役者魂だった。あれをやってのけるのは、純粋な創作意欲しかないと思う。
相模(たぶん直実の奥さん)も好きだった。ふくよかで愛らしかった。愛嬌があった。
途中トイレに行きたかったけれど、我慢してみてしまった。



父親の心理学、尾形和男、北大路書房、2011

で、p78~79エリクソンの心理社会的発達段階 が出てきて、


引用:自分(乳児)がシグナルを発した時、養育者がほどよく適切に応えてくれた経験を多くもてると、「自分の欲求に応えてくれるこの世界(他者)は、どうやら信頼できそうだ」「この世界(他者)に欲求を叶えてもらえる私は、信頼できる存在だ」という感覚が芽ばえる。~


引用者(kurage0147130):この記述から、


エリクソンの「自我同一性」アイデンティティとライフサイクル、小此木啓吾 訳編、誠信書房、1973


を借りた。


引用:
p62

 成人たちadultsでは、基本的信頼の傷つきは基本的不信basic mistrustという形で言い表わされる。この基本的不信は自分自身や他人とうまくゆかなくなると、独特なやりかたで自分の中に引き込もってしまう人物に特徴的である。~



引用者:僕に該当する。母は今日も、僕に掃除機を買っていいと言っていたのに、自分が最近やっているから、買わなくていい、いらないと突っぱねられた。新しいのを買ったら、僕が掃除しようと思っていた。楽になるから。母に特徴的なのは、突っぱねる。

 僕が幼稚園の時、母に食って掛かって、母に人のせいにしないでと言われた時も、母は突っぱねたのだと思う。受け止めないで拒絶した。母はいつも拒絶し突っぱねる。



引用:p64~65
~このように「与えられるものを受けとり(引用者注:赤ん坊の母親との関わりについて言っている)」自分のやりたかったことを自分のために「誰かにやってもらうこと」を学ぶことによって、赤ん坊は与える人giverになる、つまり母親と「同一化」するのに必要な基礎工事を発展させる、という印象を得ている。


引用者: エリクソンは、人の成長で、各発達段階で(人の成長の時々・時期によって乗り越えなければならない壁があり、それに失敗すると病気になる)、要求されるものがある。その課題に応えていくことで成長する。

 まだここまでしか読んでいないのでこの先のことはわからない。続きは明日、次回へ続く。(ドラマの真似をした)