自己欺瞞

2014/9/13(Sat・土)


 ハンガー分解は雑用だと思っていたけれど、自分の手を煩わせてみて、仕事に雑用はないと思った。人がやる仕事に上下はないのだろうし、取り組む姿勢は同じなのだから、優劣はないのだろう。

 僕は仕事を雑用ととらえた点で、間違っていたらしい。みな大事だ。

 拡大すると、あらゆる人のあらゆる仕事のおかげで僕らは日常を回せていて、日常が成り立っている。人間活動の集大成が日常なのだと思う。


2014/9/12(Fri)


・ 書き忘れていたけれど、水曜日は、赤レンガで伊福部昭掛川源一郎の展示を見てきた。赤レンガは外から見ても、中に入ってもあいかわらず良いです。


 伊福部さんは、手紙と楽譜の展示があり、雪の結晶の映像音楽を見てきた。手紙は、作曲したものを出版したいけれど、今はできないみたいな内容だったと思った。だれ宛の手紙だったんだろう。楽譜は細かくきれいな書き込みだった。


 手紙を読んでいて、今は亡き人だけれど、その当時は日常の雑事をこなし、その世界で暮らしていたのが伝わるものだった。その当時、その世界でやっていて、活躍していて、けれど現在ではない、でも、その人の肉声のような手紙から息吹が伝わる。すべては過去になり、肉体も亡びるけれど、手紙には心がこもっていた。過去のものが現在に伝わる。不思議なことなんだ。


 掛川さんの写真は、有名な写真で、少年が父親を羨望の眼差しで見つめるのがある。父親は顔が写っていない。かえって表現としていいのかもしれない。やはりあの写真が一番印象に残った。少年の眼差し。アイヌ民族の写真も印象的だった。暮らしが写っていた。人は営んでいる。



・ 今日の作業所への道で、パトカーと救急車が止まっていた。お母さんと娘、どこかのおじさんが話していた。子供が真似するから気を付けないとみたいに聞こえた。

 僕はよく信号無視をしてきたけれど、子どもが真似するという、社会的、子どもに対する責任があるのを忘れていた。これは重大だ。自分だけの問題ではなかった。車が子供をはねたのかもしれない。道徳的に正しいことをしなければいけない。間違ったことを押し通すのはよくない。

 調子の悪い今日は、信号を自転車で半分まで渡り、降り、右折してきた車が、僕を意識して止まり続け時間を使い、時間を使い切ってから去った。僕はその後、降りたまま赤信号を自転車を押して渡った。よくないのはわかっていても、駆け引き、力関係、僕の調子があって、こうなった。よくないというのは、よくわかっていた方がいい。自分に対する肝に命じる事として。


・ 作業所で、ハンガーを分解して、巻いていた13センチくらいの布の水に浸したのをボンドが付いた部分を爪でこすって剥がし、桶の中で洗いボンドを流し、水を指で上から下へこすり落とし切り、タオルで水気を切ってから新聞紙に並べるというのをやった。


 最初はいつもと違うので楽しく、しばらくして嫌になり、そのうち、他の人のためにやろうとした。午前の年配の人や男、午後の年配の人の使うためにやろうと思った。僕も使います。ハンガーをやっているのは4人くらいだと思う。分解のエネルギーを他者に向けようとした。箱の本の影響です。

・<実践>自分の小さな「箱」から脱出する方法、アービンジャー・インスティチュート・ジャパン、大和書房、2008

 もうちょっとで読み終わる。大事な本で、印象深かった。僕の今の状態にピッタリの本だった。僕は自己欺瞞な人だ。