自分の価値観

2014/8/8(Fri)
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 賞状の額縁を買い、算数検定8級を入れました。

 社会的には47歳がこの賞状をもらっても評価を下げるだけだとわかっていますが、僕個人の感覚では、僕はこの賞状を取るために、準備をし、小学校1年くらいの算数王から始め、足し算引き算掛け算割り算を再復習しました。
100マス計算も小3レベルまでやり、僕にとっては進歩でした。

 なんだそんなものと言われるのはわかっていますが、僕側からみると自分で取りに行き、自分で取ったものなので、しまってあったのが、額に入り飾られて、すごくうれしいです。自分の力になります。

 よく言われますが、普通とか、人並は存在しないと思います。僕の父母はマイナス面が多く僕にとって嫌な面もあるけれど、現在世界に存在していて、僕と関わる能力を持っている。それ以上望むべきではないかもしれません。よい面もあります。


 僕も同じく、嫌な面、良い面あると思います。


 面談の時にも話にありましたが、自分がやることは他人には変でも、自分にはそれしか現実がなく、他の選択肢がない。自分にとっては変な病気でも、かけがえのない自分のパーツだと思う。スタッフもそのようなことを言われた。そして、他人に変でも、自分にとってはそれが標準だという。

 僕にとって父母という家族がいるのは、替えが利かない、他の存在では埋められず、家族になる人はいないという固有なもの。



 僕は、他の価値観で生きる必要はない。借り物の。


 スカートを縫ったりした頃は、僕にとって手芸は、女の分野だけれど、やりたいから参入するみたいなニュアンスだった。いまは手芸の作業所に通い、女のやることを僕がやるのは日常になった。その僕が手芸をやる目的は、すごいことだになってしまった。すごく手芸ができる人になろうと。


そうではなく、自分の価値観で行くと、女の運動に参加するというニュアンス、ウーマンリヴとかジェンダー、その路線の女の歴史に関わる(服で)、違うならば、女の価値観に別の視点を持ってきて加える(服で)、そのような、女に関わるのが借り物ではない、自分の価値観で、自分ができそうなことだと思う。できないかも。

でもニュアンスはそういう、もらい物ではない、自分で積極的にかかわる部分だと思う。



自分のための、自分のカラーが出せる、生かせる目標があれば、動けるのではないかと妄想(頭の中だけで終わらなければいいのだけれど)を持ちました。