「よわいパパ。きみのさくらんぼのくちびる。」批判
父親に同一化されず、弱いパパになるというのは、僕の父が弱いから、父親同一化がなされず、弱いパパという、父親拒絶と、父親同一化不能に陥っていると思う。
パパになったほうがいいと思う。弱いパパというのは父親不在だ。僕はパパみたいに立派になるんだ。パパみたいに強くなるんだ。でいいのだと思う。パパの真似をすればいいのだと思う。パパの模倣から始めればいい。
僕なら、伊藤雅俊の模倣をして、同一化を図ることか? そして強さと、逞しさを手に入れるのか?
2014/5/16(Fri)
「よわいパパ。きみのさくらんぼのくちびる。」
ピアノの上で舟を漕いだんだ。きみとぼく。ピアノは広いよ。鍵盤の長さは永遠だ。黒鍵と白鍵。続くよ続くよ。スイッスイ。
きみに愛の告白をしたいんだ。ちゅきだよ。ぶちゅっ。
この船でお空に飛び立とう。僕がどんどん漕げばお空だって飛べるんだよ。お星さまに手が届きそう。一個もいできみにあげる。さあどうぞ。
「ありがとう。」
きみのくちびるってかわいいね。さくらんぼみたい、みとれちゃうよ。
お手てをつなごう。星のあいだを漕ぐのって楽しいね。あの星は緑だし、あっちのは赤い星。こっちは黄色いや。
なんできみは幼稚園をやすんだの。病気だったの? ぼくひとりぼっちだったよ。ブランコに一人で乗ったよ。きみがいなくてさびしかった。
でもぼく、おとなになるんだ。きみがいなくてもさびしくない、おとなになるんだ。
「わたしがいなくてもいいの?」
さびしいけれど、いいんだ。ぼくはおとななんだ。でも、もう一回お手てを握ってくれる? ありがとう。
ぼく、よわい大人でいいや。
パパみたいでなくていいんだ。いつかはパパみたいになるよ。でもいまは、よわい子供パパでいいよ。きみがいるしね。
どこまでもお星さまの上をお船を漕いで行こう。どこまでもどこまでも、きみと一緒だよ。