父母  /  革の行き詰まり



 父という病、ポプラ社を商業施設のベンチで読んでから作業所へ出かける。

 父との関係についての本。男女ともに必要になる本。


 僕は、父の価値観に抵抗して、父の蔑む・土建業、韓国語、アイヌ文化に取り組んだ。どれも好きで始めたのではない。そんなにバカにするものなのかと。

 土木作業員は、僕のやせっぽちの骨格から言って無理だった。昔の話だけれど首になった。

 韓国語は、放送大学で2単位とるまでは勉強した。満点に近かった。

 アイヌ文化は勉強中で、豊かさがあることがアイヌの生活から感じられる。




 僕は父の期待に応えられず、札幌圏の4流大学に行った。

 父は一流を望み、少しでも学力が高そうなのを望んでいた。それで心理学ではなく、法律学科になった。学力がなく辞めたけれど、のちに放送大学に行った。父は放送大学は後押ししてくれた。感謝している。


 パソコン作業所(地域活動支援センター・金にならない)は母の望みだった。今でも戻ればいいと母は思っている。手芸作業所を選んだのは、スカートを縫い履き、布の棒のたくさん・ぶら下がったすうぇとパンツを作り履き手芸をやりたくなったから。でもパソコンにも未練があった。職業訓練でパソコンを選んだけれど、胃潰瘍になりよくならないし、どうせなら好きなことをやろうと手芸作業所(A型・金になる)を選んだ。手芸は父母の期待ではなく、新たに自分で選んだ道だ。


 今日低迷して(金をもらっているのに全力でなかった)、打開策として、女性服を作ることを妄想した。


 僕は、マイナーな他の人がやらないことで力を出す、かなり偏った道しか選べないタイプらしい。マイナーな道が向いているため、その道に進むまで時間がかかってしまう。これだといえず、格好つけてメジャーを進もうとして、本当はマイナーが向いていて価値転倒の道しか残っていないという段階になってやっと選ぶというパターン。いつも自分で道は開いてきた。そうしないと潰されてしまっていた。苦肉の策でもある。




2014/5/6(Tue)


 自転車で近所の満開の桜をみてから出かけた。きれいだった。(北海道・道央という石狩管内の札幌圏)


 作業所では、中だるみになった。集中していなかった。終わってから、ダメだったのは技術の向上が無くなったからではと思い本屋へ寄った。いい本はなかった。サークルとかに入ればいいのかなとこの時思った。

 帰りの交通機関で本を読んでいた。TASK(京都の伝統工芸を教える学校らしい・読んでいるのによくわかっていない)の彩色(さいしき)のページで、宗教心のある父の筆は全然違うという話だった。

 黒澤明監督の「生きる」、女性おもちゃ工員が、使う子供のことを考えて作るというのがあったし、今の作業所に通う前に読んだ本にも使う人のことを考えるとかあったと思った。この本でも、宗教心のある父の技術は筆遣いが違うとあった。
 僕は、使う人のことを考えて、祈るように作ることはできないかと思った。練習でも、針にその気持ちを乗せられないかと。