欠点

20:50 現在時刻

お医者さんへの日記から


4月30日(水曜日)

「 ・  」
 不調でした。 帰りの地下街で、自分がなぜここにいるのか、わからないような、リアリティの欠ける(当事者感覚の欠ける)感触がよぎりました。



 握力が落ちた時に、何もわからない感覚になる時がある。それに近いのか、自分の状態が新たに動いての新しい感覚なのか、わからない。深刻でない。ちょびっと怪しい。

 首が動いた。バキバキ音がして、伸びた感じだった。今日は悪くても、全体的には期待している。





2014/4/30(Wed)


「欠点」


 作業所で女性2人が会話をしていて、僕から見て欠点のようなことも言っていた。

 僕は欠点はマイナスで、欠けている、能力が不足している、取り除いたほうがいいという、そういうイメージを持ってきた。

 けれど本当だろうか。父の欠点に対する対応を、そのまま自分のやり方にしてしまっているだけではないのか。



 欠点はその人の特性で、そういう反応の仕方、その人の感じている感触の対応をしている、その人独自の反射で、むしろ尊重するものではないのか。欠けているというより特性だと。

 その人はいろいろ反応をする。優れた反応もあるし、劣った反応もある、トータルすべてひっくるめてその人だ。その人の全体で見たとき、劣っている・欠点はマイナスではないと思う。反応特性だと思う。欠点は排除すべきものではない、大事に扱い、尊重すべき反応だろうと思う。人間はトータルで見たほうがいいのではないのかと、自分に問いたい。

 マイナスを排除しないというのは、自分の精神衛生上、必要だと思う。酒を飲んだり、たばこを吸うのも、健康というレベルではマイナスかもしれない反応だと思う。けれど楽しいとか、気が紛れるなら、その人の必要な反応で、そういう反応をするというその人の選択特性ではないのか。だからマイナスではなく、その人のいろいろな反応の中の一つなのかもしれない。

 人間欠点も利点も、トータル合わせて見たほうがいいのかも。

 僕が手芸をやるというのも、男としてはマイナスだけれど、向き不向きで言うとプラスだ。内向していて、あまり話しかけられないというのもマイナスだけれど、今の僕の反応だ。下を向いて歩くのも僕の欠点だけれど、そういう選択反応をしている。
変換できるかもしれないけれど、変換しなくても、僕の欠点特性だ。選択して現在行っている反応だ。選択しているから、変えることもできるし、現状維持もできる。それらも含めて僕の今を構成している。


 他人の欠点も、マイナスと決めつけないで、その人の特性選択反応と見たほうがいいのかもしれない。
欠点があっても、他の反応と合わせてトータルで見るのが、その人を理解することなのかも。



 父は欠点があると、その人はダメだみたいに、全否定するけれど、そのやり方は間違っている。人間は色々な部分で成り立っている、揚げ足を取るべきではない。よく観察したほうがよさそう。排除は何もならない。