最低 最高 絶滅 絶頂

 今日は調子が悪いらしく、帰りの交通機関では、何かされそうだった。結局は、死んでもしょうがない、は ん ざ い し ゃ になっても、おいしいご飯を食べられる囲いに入ってでも、戦って倒す(全滅される可能性もあるが)、という気持ちをぶつける以外に突破しようがなく、暗く寂しい道を作りながら歩いた。または座った。

 途中女性が正面からきて、よけなかったら紙袋にぶつかりぐしゃっとなったようだったが、お構いなしに歩いた。僕は、突っ込まれそうで、周りの奴とダンス、相手と僕の腹の探り合いをしたりして踊った。衝突しなかったが。

 悪い奴になってでも、相手を止めようとしないと僕は存在できない気がしたのでそうした。うんこ人間として過ごした。とてもありがたく、感謝の日だった。こういう日は、意外に動きがいい。今日だって朝からprince black albumを聞いて、そのリズム感が素晴らしく酔った。今までこれを聞いた中で一番理解できた時だった。最低、最高、絶滅、機敏 という反する状態をいっぺんに体験して、とても疲れる日を迎えた。

 ジェンドリンの、フォーカシングの本がメルカリで届いた。どのくらい使えるのかわからあいけれど、読んでみたい。古い本だけれど、きれいだ。メルカリで購入した。アマゾンレビューの評価は高かった。フォーカシングというタイトルの中でも、一番よさそうで、使えそうに思えたので買った。使えなかったら途中でまた読まなくなると思う。イメージトレーニングで使用したいと思った。

 はじめまし物理、吉田武、東海大学出版部、小学生でも理解できるらしいが、僕には敷居が高いかも。これも投げ出さなければいいが。わからなくなり積んでおくようになるかも。物理に対するあこがれがある。


 風邪をひいて、昨日の夜はクラックが入ったように壊れた頭のようだった。
 今日の夜は、自分でバリカンを使って髪を切った。さっぱりした。伸び過ぎていたのですっきりした。

 坂東玉三郎、鷺・さぎ 娘 DVDを見て、真似てみた。女のしな を表現すると女に近づくみたいだ。モンローもみたけれど、7年目の浮気、男主人公の場面で、モンロー以外の女優が男主人公に惚れるという妄想場面で女はやけに情熱的に男主人公に迫っていた。参考になる場面ではなかった。

 裂織のバッグは6個目を織っている。そろそろこのシリーズも終了するのかもしれない。組織図の読み方を、ホームページコビーを読んで勉強しているが、わからないところも結構あったりする。他の記事も探してみたい。自分でデザインを開発できるとよいのだが。裂織の技術も身に着けられるといいと思う。まずは組織図を読めるようにならないと先へ進まなさそうに思う。

  


 風邪をひいて、昨日の夜はクラックが入ったように壊れた頭のようだった。
 今日の夜は、自分でバリカンを使って髪を切った。さっぱりした。伸び過ぎていたのですっきりした。

 坂東玉三郎、鷺・さぎ 娘 DVDを見て、真似てみた。女のしな を表現すると女に近づくみたいだ。モンローもみたけれど、7年目の浮気、男主人公の場面で、モンロー以外の女優が男主人公に惚れるという妄想場面で女はやけに情熱的に男主人公に迫っていた。参考になる場面ではなかった。

 裂織のバッグは6個目を織っている。そろそろこのシリーズも終了するのかもしれない。組織図の読み方を、ホームページコビーを読んで勉強しているが、わからないところも結構あったりする。他の記事も探してみたい。自分でデザインを開発できるとよいのだが。裂織の技術も身に着けられるといいと思う。まずは組織図を読めるようにならないと先へ進まなさそうに思う。

  

スニペ(←読みの方向)作戦

 作業所で集中しづらく、頭、手先、足の指さき、などをペニスと思って、それらのペニスが露出しているというイメージで過ごした。

 僕は自分の性、ペニスを隠そうとしてきているので、(それは本意ではないが父母のもとでの行動だったと思う)、何とか外側に出そう、立場を明確にしよう、作業に集中して取り組むための苦肉の策で行った。そのペニスを外側に向けて、意識の外側への向きをこのペニスの作戦で出そうとした。

 割と成功したと思う。帰りの交通機関では女性が周りに多かった。たぶん馬鹿にしようと集まったかな、とも思うが、突っ込んでくる奴はいなかったので特異な僕の立場を見に来たのかもしれない。このペニス露出作戦は、今日は成功と判断していいと思う。明日はまた自分の状態が変わるので違う作戦になるのかもしれない。何とか食いついて作業に集中したい。

 割とハッピーな一日だった。作業に集中できるか不安だったが、そこそこだったと思う。

カウンセリング:イメージの中で自由に振舞った。トライアルバイク。制限を取っ払った。

 稲盛和夫先生の働き方、を読んでいます。4章今日一日を「一生懸命」に働く―継続は力なり、5章「完璧主義」で働く―いかにいい仕事をするか の部分部分を読んだ。

 すごく濃くて、大事で、影響される言葉がたくさんあった。生き方、も頼んでみた。(購入)



 カウンセリングに出かけました。先生に今日も治療していただきました。お世話になっています。

 今日は、姉・妹のブログ記事を読んでもらい、母に対する僕の側の男としての屈折をいつもの地下室へと降りていくなかで取り上げていただきたく頼みました。


 地下室へと降りていく階段は銀色で非常階段のようで、降りた先のドアも事務所のドアのようだった。部屋の中には便器が正面にあり、骸骨もあった。骸骨は頭部だけだった。

 地下室では、僕の母に対する男の部分を取り上げて頂きたいからで、そこの地下室で思い出されたのは、中学生の時、親戚の少年と父と僕3人で函館へと父の車で旅行に出かけた時の思い出。
 その親戚の子供は、食堂では一人で餃子を頼んだり、大沼の公園でもマウンテンバイクを借りて、階段をバイクでドンドンと勝手気ままに乗り回していた。その子が僕はうらやましかった。僕は父母に制限されていたので息苦しさを感じていたし。

 その骸骨の頭部、髑髏・どくろは僕の父母に対する乾いた感覚の象徴だと感じた。父母に制限されて軟禁のような状態だったし。その髑髏をなでたり頭の上にのせて被るみたいなことをしてみた。髑髏は嫌な象徴ではなくシンパシーを感じるようなものだった。その髑髏とともに先生の誘導のもと、マウンテンバイクに乗ることになった。この部分の髑髏とマウンテンバイクの話のつながり、この辺はよく覚えていない。とにかくマウンテンバイクに乗り、渓流の岩場を乗り回した。まえにYouTubeで乗っているクロスバイクの選手のように。髑髏と一緒にマウンテンバイクを楽しんだ。髑髏と一緒に何をしたいのか、と先生に聞かれてマウンテンバイクに乗ったのかもしれない。

 自由気ままにイメージの世界でマウンテンバイクをうまく乗り回し楽しかった。髑髏をケースに収めて地下室を後にした。このように、父母に制限されて何もできず、力もないというのは過去の僕の体験で、今の僕はできる範囲のことは何でもできる、制限されていると感じて諦めていた事をいろいろできる、ということをイメージの世界を駆使しても可能になるということを先生に教えていただいた。僕は福祉喫茶に入ったり、絵を見て回ったり、いろいろ最近はやるようになった。マウンテンバイクに乗りたいという欲求、トライアルバイクのことだけれど、やりたいということも今の僕なら叶えられる。イメージの世界でうまくできることをイメージしてやると、実際に制限の記憶を克服できるようになるのかもしれない。
 僕にとってはエキサイティングでクリエイティブな、拡張された体験だった。こうしてイメージを使うと、ダメだと諦めていたことに取り組みやすいと感じた。僕は普段の生活でも、制限されていた記憶を生きていて、狭い範囲をがんじがらめで生活していることに気づいた。父母の制限下の記憶をまだ使って生きていると。自分で自分を制限して引きずっている。

 とても有意義でありがたい体験だった。
 先生、ありがとうございました。

プール。


・ 地元ではないプールに行きました。そこの街も歩きました。福祉カフェを見つけた。今度の帰りは寄ろうと思っている。

 プールでは、25メートル水路を3往復のウォーキング。3往復のビート板握り。(息継ぎのたびに立った・周りを観察してぶつからないようにした)  2往復のウォーキングで終えてきた。サウナは暑いので1分間くらいしかいなかった。コーヒーを飲んで、トマトジュースを流し込んだ。(胃が弱い)

とても楽しかった。プールはどうやろうと自由なので、勝手に泳いできた。今日も蹴飛ばされなかった。知らない街も歩いたし。気分転換だった。


 小学生の時にプールに連れて行ってもらい、プールの中では、自然と浮くもんだと母に習ってからプールが好きになった。でもそのあと、母と行くこともなく、地元のプールに一人で数回行ったが、すぐ疲れて、楽しくなかった。今は自分の技量もわかるし、無理をしないで、長い付き合いの一環として取り組んでいるので楽しい。

 プールのパンツの下に穿くプール下着は、女の下着のようで自分のものでも、穿いたり脱いだり持ったりで興奮しそうになるけれど、自分のものなので面白くもなんともない。所有したいという欲求はないのでこれ以上立ち入る気持ちもない。女性の下半身には興味はあるが。プール遠征は楽しかった。

 調子が悪い日は、プールに行かないで、ギャラリー周りをしようと思う。蹴とばされたくない。また、織りの組織図の読書も楽しい。




・ 東松照明の写真集を思い切って買った。本に金を使っても、読まなくても、損したと思ったことはない。読まないのは、有効ではないまま終えることになるけれど。本が切り開く素晴らしさはわかるので、本台はケチらない。僕は理解力も、早さも遅いので、その辺は少し向上させたいと願望はある。



・ 父は、田端義夫の歌は声を出してうたったが、ほかの歌は気に入らないようで、イヤホンをはずせといった。端の吸引も要求した。応えて帰ってきた。
 母は、みかんは一個丸ごと食った、キーウィーは半分しか食わなかった。うまいかと聞いても答えないから、満足したろうと思う。来なくていいといつものように言っていた。

 2人とも、自分の思い通りにならないのが気に食わないようで、僕ら家族はプライドが高い。変に意地を張って偏屈で、負け犬のくせに成犬のようなふりをする。うちら家族は馬鹿犬の集まりだから。屈折率も高い。

 プールは本当、最高だよ。

男としてぶつかっていきたい


・ 作業所で、女性の向こうから僕に気をもった人がいた。今の作業所に入ったばかり。僕も右も左もわからなかったので丁寧に接していた。そのうち今の作業所の場所に引っ越しをした、作業所は同じところに通っているけれど場所が変わり、点在していた2つがくっついた。

 その女性の妹も通っていて、僕はその人はいいかなあと思った。僕は女性との距離がわからず、最初の姉のほうをぞんざいに思った。妹のほうがいいやと。そのうち妹も僕の変な距離感の態度に反感を持たれた。そして姉は僕を敵視したと思う。その姉がいま、僕を上から目線で見て指図しようとしたり、恨みがましい被害者の表情を浮かべる。



 しかしだ。もうそういうゲームは僕はいらない。どうしたらいいだろうかと最近思ってきたが、もういらない。姉の変な態度を野放しにできない。


 僕は今日は男で作業にぶつかろうとしようとした。成功したがどうかはわからないが、やろうとした。その姉にも逃げていないで男としてぶつかっていこうと思った。帰りも正面から声の挨拶をした。女にも作業にも、皿洗いにも、そういう雑用作業・トイレ掃除・ごみ集め捨て・掃除機かけ、男としてぶつかっていきたい。姉とのこじれた関係性をこなすには男としてぶつかっていく以外に道はない。

☆☆ 男としてぶつかって、いろいろなことを乗り越えていきたい。




・ 組織図・そしきず と読むのか、織りのほうの組織図の読み方をホームページを印刷して勉強している。とても楽しい。さをり織りには触ったことがあるので、理解できるのではないかと思う。
 手織り大全、裂き織り大全をもっているので、よめるようになりたい。まだ印刷のは全部理解できなないので何度も読んで身につけたい。最初のほうに戻って読んだりして理解したい。


 また、最近ギャラリーに寄っていない。読書しているので刺激はある。 

僕はオイディプス王、母の憎しみから目を逸らした。

・ 一昨日は帰りの交通機関で突っ込まれる感じをすれ違う時感じた。それで、母の顔のイメージにペニスを被せたり、持たせたりとやってみた。
 昨日は、キューブリックの時計仕掛けのオレンジのペニスのオブジェで女性を攻撃するシーンをそっくりもらった、流用した。母の顔のイメージに対して、ペニスのオブジェでぶつけたりした。


 今日は、母の顔に対して男として向き合おうとした。昨日の作業はまったくダラケテいたので今日は引き締めようと思った。作業に男をぶつけようとした。成功したのかどうかわからなかったが、作業に真摯に向き合いたかった。ほかの人のように。昨日の作業を終えて帰る女性のお疲れさまでしたという声と、その日の姿勢に見習うべきものがあるのを思い出していた。

 今日は調子が悪かったのを、帰りの交通機関の周りの反応を見て思い知った。けれど、母の顔のイメージと直・じか に向き合っていて、突っ込まれなった。それだけ母の顔のイメージ、自分と向き合うのに必要なことらしい。
 




・ 今日、作業所で掃除機をかけていて、ふとひらいめた。僕は、マスターしょんべんを何千回としてきたが、それらは母に向けてではなかったのか。若い女性の映像や、週刊誌や、そういういかがわしいものを女性だと思って行ってきたが、オイディプス王みたいに自分の母親を抱こうとしてきたのではなかったか?! 僕は母を乗り越えていないのだから、母を抱こうとすることに、女性イメージは歪んでいて実は母だったのではないのか? 現実味を帯びるなあと思える。

 母の顔のイメージに、男をぶつけようとし、ペニスオブジェをぶつけようとし、やってみたが僕は母を超えていない。母の手の内にある。閉じている。負けている。これはどう見てもオイディプス王だと思える。僕は幼稚園の時、母に食って掛かっていた。そして母に人のせいにしないでと言われ、何かをやめた。それは母に対する攻撃で、ペニスをぶつけることかもしれない。母に男として受け止めてもらえなかったのは事実だ。おまけに母に憎まれていたのかもしれない。僕は母に愛されている、父母に愛されていると思い込もうとしてきたが、それは目を閉じた自分に都合の良い、偽りの父母像だった。父母は僕を愛していない。それは今も変わらない。憎んでいるかもしれない。いや、母は僕を憎んでいる、呪っているかもしれない。母と父をつなぐ道具が僕だから。僕がいなければ母はもっと自由だったかかもしれない。父に縛られずにいられるから。憎まれこそすれ、愛はこれっぽっちのかけらもなかった。





☆ その母に愛を求め、拒絶され、否定された。それが幼稚園の僕で、僕にとっての事件のシナリオだったろう。憎まれていたのだから。母は僕を憎んでいた。ここから目を逸らした。逃げの始まりだった。抑圧の原因だった。


☆☆ いま、もう一度母と向き合わなければならない。逃げてばかりだったから。きちんと母を見つめ、自分の気持ち、自分にとっての事実を捉えなければならない。僕のマスターしょんべんの相手はすべて母だったのだ。僕はオイディプス王。母の僕に対する憎しみをきちんと見つめなければならない。


 同じことを繰り返し書いたので飽きた。おわり。寝る。


☆☆☆

本郷新記念札幌彫刻美術館 / カウンセリング(鎧・甲冑を着る 男らしさ) 

・〇 はるばる本郷新記念札幌彫刻美術館に行った。

本郷新 哭 本郷新記念札幌彫刻美術館
哭 1978年頃 1958年のものを再制作

本郷新 哭 本郷新記念札幌彫刻美術館
哭 1978年頃 1958年のものを再制作

 正面は手ブレだった。横向きの写真のほうが良い。この作品、現代彫刻でも通じる気がした。手で顔を覆い、出口のない苦悩を手で顔を覆いうなだれる姿で表現されている。すごくポップで惹かれた。自分の苦悩も仮託できそうだった。哭。




本田明二像 本郷新 1974年
本田明二像 本郷新 1974年

 本田明二像は、一目見て好きだった。キャプションを読むと本郷新の友達だったとか。友達を愛する気持ちが入っていて、僕も惹かれたのか? 人を愛する気持ちの良い部分が表現されていると感じた。




奏でる乙女 本郷新 1954年
奏でる乙女 本郷新 1954年

 丘を登っていくところにある像。奏でる乙女。写真でアップの写真を見ると、女性の顔の表情が凛として清楚で素敵だ。ギターを弾く女性というのも清々しい。弾くという行為に魂を込めている姿は、音に心をのせていて聞いてもいる姿に気持ちのよさを感じた。


 本郷新の彫刻は、外に設置するため、巨大な女性像や男も展示されていたが、僕が惹かれたのは小さいものだった。人間の体を勉強し、独特のポーズをとらせる本郷新の彫刻は素晴らしいものなのだろうが、僕にはわずかしかわからない。立体を彫刻、作り出す人というのはすごいなあ。





・〇 カウンセリングに出かけた。地下室の男のパーツに会いに行くという、自分の部分とコミュニケーションを取ろうという趣旨と理解している。先生に診ていただき導いてもらった。

 地下室に降りていくと、鎧があり、暖炉もあった。暖炉はガスか何かでできているらしかった。先生は暖炉についてみていこうとされたが、僕は鎧に興味があったのでそちらについて取り上げていただいた。
 鎧は西洋の甲冑で鉄というか鋼というか、金属でできていて、身に着けることになった。それを身に着け、勝ってくるぞと勇ましく、と軍歌のように歌いポーズをとってみた。左手に盾を持ち右手に剣を握った。
 僕は普段から自分のイメージに弱弱しさしか感じず、小さいイメージを持っていたので、先生の導きで鎧を着て、守られ、武装し力強く戦うポーズは男のパーツというのにふさわしかった。それを着て感じて、身に着けることで男らしくなるらしかった。まだ照れと距離感を感じたが、自分に力強さに憧れたり、身に着ける部分があるとは思っていず、鎧と出会ったこと自体が不思議だった。心に出てくるイメージというのは不思議で、先生の導きでそれを身に着け、動いて、ポーズをとり、歌い、鎧という男の部分を自分の身体とみなす不思議な治療だった。

 こういう機会を先生に持たせていただいて有難かった。カウンセリングという行為は、治療でもあるのを実感させていただいた。治療の部分は先生がいないとできないだろうと感じた。イメージとの付き合い方を先生は心得ていて、治療にまで高めていただいた。今回のようなカウンセリングを繰り返すと回復するだろうという実感を感じた。ありがとうございました。

調子が悪いからプールに行かない、ではなく、プールに行くから調子がいい。(??森田療法?? 記憶が定かでない ゴメン)

 昨日の帰りの交通機関で、僕は生活不活発病ではないかと思った。森田療法で、調子が悪いからやらないではなく、やるから調子がいい、と言うのがあったような気がした。?
 僕は金曜日の昨日は、作業所で低調で沈んでいた。ギャラリー行脚もやめていた。この何もしないで、夜食って寝るという習慣が悪いのではないかと、木曜夜に布団に潜り込むときふと頭をよぎったが、木曜は調子が悪く寝てしまえと何もしないで寝た。

 大体ギャラリー行脚自体が、調子が良かったというより、「孤独な人が認知行動療法で素敵なパートナーを見つける方法」デビット・D・バーンズ 氏の、何もしない人に異性が興味を持つだろうか、何も魅力がないと思うのではないか、そういう人と付き合いたいか、みたいな箇所があって、行動先にありで始めた。

 生活不活発病と思った昨日、ギャラリーに寄り、図書館に寄った。図書館では、これだけの量の本があり、人間の興味、活動が蓄積されて人間活動は多岐にわたるのだから、そんなに狭い分野に固執する必要はないのではないかと思った。好きな本でも読めばいいのさ、とダラダラとそこらの本をめくっていた。(読んだわけではなく、読む体力はなかった) 図書館は、目的があって行っていたが、昨日はただダラダラした。

 そういえば精神障害者も、ここ札幌では交通機関が割引になる。ICカードでの割引でないところが、応能負担というところなのだろうか。不便をしなさいと言われている気がした。磁気カードでの改札通過になる。乗り継ぎは市電だけ可能で、バスは割引されない。


☆ 調子が良くないからプールに行かないではなく、プールに行くから調子がいい、という考え方に切り替えた。楽しかった。水中歩行に、ビート板によりかかり 50メートル2往復半。また水中歩行で帰ってきた。サウナは暑くて、入ってすぐ出た。僕はヨガの椅子のポーズをやるようになってから、冷え知らずになって、体の寒さを感じるのが和らいで、基礎体温が高くなった気がしている。思い込みか?

 コーヒーと持って行ったトマトジュースを飲んで帰ってきた。こんな生活続けたいな。

 汚すぎて掃除をしないではなく、どこからやるかわからないからやらないではなく、掃除をするからきれいだ、というバージョンがあってもいいと思う。同じパターンは増殖可能だと思う。

写真の追加:  /雑記:03/10 Sunday

待っている間、左足の下の雪の固まった氷の板を足で踏んづけて割って、右側のように並べた。
自分では創作しているつもりだった。写真で見ると、そんなに良い出来でもなかったなあと感じる。
自分の中では楽しいひと時だった。

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 3/8 Friは、ものすごく調子が悪かった。付け込まれそうで、自分が死んでも負けまいと自分の陣地にこだわった。

 昨日はカウンセリングにでかけ、診ていただいた。僕は前日の調子の悪いのを引きずり、先生の話の腰を折って、いろいろ喋った。




 先生によると、地下室の自分のパーツに会いに行くという趣旨の回は、地下室で花が生けられたり、絵が飾られたり、窓を作り日が差すのは前進していることらしかった。確かに最初は、ゴミ箱くらいしかない殺風景な部屋で、猫もリスも出てこなかった。もっと良くなると、自分のパーツと会話できるらしい。僕はまだ会話は成立していない。基本の段階らしい。

 公園で体操していて、大型トラックに鉄骨が積まれいて駐車しているのや、ゴミ車が走っているのは必要とされているからで、この世のすべては人間活動で他者が担っている。他者が世界を回している。
 また、作業所でごみ集め、皿洗い、トイレ掃除、掃除機かけをやらしていただいているが、職業に貴賤を見なくなったこと、どんな職でもよくて、必要とされていたりやりたければ職に上下を見ないでやればよいのだなと思うようになりつつある。
 このような話は、僕が開けている、開きかけていることなので、順調を読み取ってもよいようだった。ただ、僕は前日、付け込まれそうでグチャグチャになってしまい、先生の話を最後まで聞かず、腰を折り僕がしゃべることを一方的に行った。先生にフラストレーションを与えたかもしれない。



☆ また、最近感じて、昨日先生に向けてしゃべって感じたこと、個人の経験することは、その個人だけの体験で権威や価値を見なくてもいいのではないかという僕の感じ方、
 僕は、歌うことを通して、権威を取ろうとしていた。価値を得ようとしていた。だからプロになれればよいのにと思った。坂本龍一村上龍がまぶしかった。

 昨日家に戻って、リコーダーを吹いたり、ギターを弾けないけれど弾・はじ いて 、 はっぴーえんど、hosono house に合わせ、リズムを一緒に刻んだ。これらは、今まで自分の価値を示そうという、すごさを見せつけようとする、そのためのものだったけれど、昨日は全くの自分の経験として、個人的な、プライベートな演奏になった。吹き方、リズムの刻み方になった。個人の体験のためだけに行った。ほかの部分を捨てた。価値や権威を捨てた。

 体験のための経験。個人的な体験のためだけにある、自分の感じ方自分に帰すだけの経験に徹したかった。そういう方向性を試して昨日は成功した。



・ 4日前くらいに、モンローの7年目の浮気をのぞいた。少し見ただけだけれど、モンロー好きだなあ。映画でやっているのは男の純情で女が欲しいという素朴なものだった。モンローのたばこの吸い方を真似したりしてみた。エアースモーキング。
 僕はセックスシンボルとしてのモンローもいいけれど、素のモンローに興味がある。どういう人だったんだろう。役どころは楽しそうだけれど、実際の心はどうだったのだろう。

ダンボーのブレーカーがまた落ちたのだけれど、ダンボー屋さんによると、下に押し下げてエイっと一気に上げるらしかった。僕のようにそろそろ上げたら中間で止まってしまうらしくて、やってみたら成功した。それで金を散財せずに済んだ。

裂織終わった。織りあがった。あと裏側の伸びている生地を切ったら完成。やったー。調子が悪くて金曜日は空回りしたけれど、終わってくれた。失敗しないようにずっと織ってきたので、気を張ってやってきたので一段落。着物解体の作業になるのか、まだ織るのかわからないけれど。
 作業所の手話勉強もみな頑張っている。僕だけ落ちこぼれている。でも、勉強しようかなあと思っている。


☆☆  今日のすごかったところは、交通機関で皆、僕を攻め立てたいらしかってけれど、作業所にいるときからやっていた、自分の男に向き合おうというやり方を帰りの交通機関でも行った。そうすると、自分の男に向き合おうとすると、周りは付け入るスキがないようだった。これは画期的で、僕にとってはものすごいこと。周りと互角にやりあえたのだから、その所がすごかった。初めての経験だった。向き合おうとすると、今まで逃げきてずらしてきたのを少しだけ感じられた。このやり方、こういうのを伸ばしていきたいなあと思った。ありがたかった。感謝します。

本を読んで::::::  (引用あり)

A.アドラー 生きるために大切なこと 方丈社 桜田直美:訳


引用:
p16 ~生まれつき病気を持っている、過度に甘やかされる、愛されないという三つのケースは、子供にとって特によくないケースとされる環境であり、~

p17 ~先に述べた、問題を抱える三つのタイプの子供は、共同体感覚を身につけるのに苦労することになる。精神が適切に発達せず、人生で必要なことを達成したり、困難を解決したりといったことができない大人になる。最初から敗北感にうちひしがれ、人生の問題への対処を誤り、人生の無益な側面に向かってしまう。~

p20 ~父親か母親による厳しすぎるしつけ、または虐待によって、精神が抑圧されるというものだろう。これを経験した子供は、精神の解放を求めるようになり、それがときには心理的排除という形になって表れる。そのため、すぐに激昂する父親を持った女の子は、男性を拒絶するような性格の原型が作られる
P21 のだ。または、厳しい母親に抑圧されてきた男の子は、女性を拒絶するようになるだろう。もちろん、この「拒絶する」という態度は、さまざまな形で表に現れる。たとえば、極端に内気になるかもしれないし、異常な性行動を取るようになるかもしれない(これもまた、異性を拒絶するという態度の一形態だ)。このような倒錯は、生まれつきではなく、幼少期の環境から生まれたものだ。
 幼少期に間違った扱いを受けた子供は、その後の人生で大きな苦労をすることになる。それなのに、その子が何らかの治療や指導を受けられることはめったにない。~

(kurage01047130):引用者として:この辺までしか読んでいません。僕のことが書いてあります。内気になったこと。異性を拒絶、女が好きですが、付き合う具体的な行動を積極的に取ろうとしていない。けれど僕は、原型がずっと続くとは思っていない。解決できると思っている親によって、父母の厳しすぎる、父母に愛されない僕は、親に怨む手もあるのだろうけれど、それも取りたくない。ぼくは解決を望む。精神の解放の一形態を望むということだと思う。父母なんかに負けたくない。そんなもの蹴散らしてやる。お前らに曲げられても、そんなものに負けてたまるか。僕は自分の人生を掴んでみせる。


心のつぶやきがあなたを変える 認知療法自習マニュアル 井上和臣 星和書店

p160 まで読んできました。3分の2です。この本、デビッド・D・バーンズ先生の本と同じです。認知療法だからだと思います。自動思考をするメリットデメリットを考えたり、認知の歪みをみたりする。この認知の歪みですが、全か無か、一般化のし過ぎ、レッテル張りなど、歪みの全項目を僕は持っている。エキスパートであり、プロッフェショナルです。僕は歪み切っている。だから苦しいし、うまくいかない気がしている。

 この本の、p118: 不安=資源(resources)を分母で、分子が脅威(risc)
というのが出ている。これが新鮮だった。仕事ができなくなってしまった会社員の話で、仕事が巨大に見え、無力感があり、なかなか復帰できない。一度職場に行ってみたけれど、前は簡単にできたことが、今は難しく見えていたりする。無力ということにたいして、資源が個隠している、方法論が足りない状態で、それが分母。脅威はそれにたいしてひるんでいる状態だと思う、分子。

p118:引用:

治療者 分子の部分にある「脅威」が大きければ大きいほど、そして分母の部分の「資源が」少なくなればなるほど、不安が強くなり、反対に、「脅威」が小さければ小さいほど、そして「資源」が大きくなればなるほど、不安が弱まることを示しています。~

(kurage0147130):引用者:これは、先の会社員の例だと、巨大すぎる仕事は、こんな時、友達に何と言ってアドヴァイスしますかという例えに集約されている。

p149:引用: 健司 「あせらずに、できるところからやればいい」~

(kurage0147130): 本の内容だけれど、仕事を分解する。小さな山にして、できるとことから手を付ける。大きな山に仕事をしないで細分化して、手の付けられそうなところから取り掛かる。このような、友達にアドヴァイスするように、自分にもそのアドヴァイスするような方法論で取り掛かる。
 今読んでいる第六章 心のつぶやきを修正する は、もうちょっと、本のやり方が出てくると思われるが、まだそこまで読んでいない。バーンズ先生の本だけでも十分だったかもしれないが、バーンズ先生の本はそれだけ優秀なんだろう。修正には、アドラーの本も有効だと思う。そして、僕は認知の歪みがすごいので、ぜんぶがあてはまるので、自動思考を焼き直したほうがいい。自分はだめだとか、彼女はできないだろう、56歳で死ぬだろうとか。これらは認知の歪みだ。まだまだたくさんあるが、これをずっと信じなくてはならない理由はない。こんな貧乏をずっとしょい込み続けるのはごめんだ。何とか脱出したい。まあ、歪んでいるというのが分かっただけでも、第一関門は突破したが。僕は自分のしていることを過小評価する歪みもある。自分のできること、やっていることを小さく見積もる。作業所でも、他者の偉大なところは見えるが、自分にも偉大なところをはあるとよく見てやる必要はあると思う。過小評価。歪み。




:::雑記:::

・ 作業所では、また、続いて、裂織の青のバッグに取り掛かっている。黒地に青の下地・水色の模様。先週の金曜日から調子がいい。裂織もうまくいっている。僕にとっては有難い時期。このような状態がずっと続けばいいがそれはありえない。調子がよくなれば、悪い波は必ず来る。このワンセットで僕は動いている。だからよいのだけを取ろうとするのは間違っている。両方体験しなければならない。作業では、男としてぶつかっていこうとしている。寝る。

 そういえば、父母のところに行って、母には、洗剤とトイレットペーパーを買って持っていき、父には、青春歌年鑑50年代 を一緒に聞いた。イヤホンが刺さっていず、聞き直したので、1時間余計に父のところに居残った。思い出作りですよ。父はじきに死ぬ。高齢で寝たきりだから。人生は厳しいよ。父母を見て思う。でも、打ちひしがれてもいたくない。父母に負けたくない。

 ランニングキャップを買った。ナイキ。黒。普通の帽子をかぶるのは飽きた。形の違ったのが欲しくなった。普段で被る。最初の店でいいのを見つけその日買わないで次の日買おうと思ったらなかった。次の店にいき、結構歩いたが、そこでいろいろ見て選んだ。ランニングキャップを買ったの初めてだ。

 交通機関のレーンで百メートル走って、フォームをいじくるのを楽しみにしている。誰も歩いていない日がたまにあるから走ることができる。僕は膝が弱いので、マラソンは無理だと思う。水泳には行っていない。織り教室に復帰しようと思っている。Xデーを考えている。いつ復帰するか。スケジュールを詰め込み過ぎたくもないのでどうなるか。

女形を目指して 宴会芸

 木久蔵のいや~んばかーん のために振りを作ろうとしたけれどうまくいかなかった。
 それで坂東玉三郎のDVDを見ながら真似をした。 たおやか、しな、ため、内気さという女アイテムがてんこもりだった。これらを身に着け、振りに生かせればうまくいきそう。
 最初からやろうとしたけれど、何も浮かばなかった。おっぱい両手持ち上げとか、おかまポーズしかできなかった。だから玉三郎は勉強になった。

 モンローdVDも頼んでみた。これもお色気作戦の一つ。モンローの演技とか目つきとかさんこうにしたい、ナイアガラ、7年目の浮気、お熱いのがお好きにしてみた。


 歌は、歌詞が覚えられないけれど、声としてはやりやすくすぐできると思っている。 寝る。遅くなってしまった。

雑記 2019/03/01 Fri

心のつぶやきがあなたを変える 認知療法自習マニュアル 井上和臣 星和書店


 p29
引用:


 「どう思われるだろうか?」「上手に話せるだろうか?」「きちんとしなければならない」とばかり考えていたが、「自分に与えられた役割だけを果たすようにしよう」「今は正直に自分の気持ちをベック博士に話せばよい」と考えることも可能かもしれない。



~ややもすると、マイナス思考をプラス思考に変えることこそ認知療法の目的である、と考えてしまいそうですが、これは誤りです。~~などと考えるのが、プラス思考でしょう。しかし、この思考には何がしか嘘が混じってはいないでしょうか? 認知療法では、根拠もない事柄を呪文のように繰り返すことが求められているのではありません。




・ (kurage0147130:引用しました。一生彼女はできないのではないのか。から、笑顔を作ってみようから始めて、カーテンに挨拶、パソコン画面の動画女性に笑顔、猫と犬に笑顔、エレベーターガールに笑顔、受付嬢に笑顔、通行人に挨拶と笑顔とやっていこうとすることとか、ナンパの前段階を作ろうとすることがこの本に求められていることかもしれない、と思い始めた。

 前回書いたように、僕の自動思考は、自分を貶める・おとしめる呪文ばかりで、否定的な言葉が多く、自分をないがしろにしている。自分を大事にするためにも笑顔は大事かもしれない。


・ この間、作業所の新年会、創立8周年だったかが行われ参加した。カラオケ大会で酒を飲んだ。僕はカラオケをパスした。
 このカラオケ、一人の女性がちびまるこちゃんを地声・低い声で挑むように熱唱した。僕にも鮮烈に記憶に残った。次の日、作業所に集まった皆もこの女性の熱唱をあちこちで話題にしていた。一生懸命だったのが鮮烈に記憶に残る要因だった。

 僕は今の曲をうまく歌うことしか頭になかったが、この女性を見て、木久蔵のいや~んばか~んを歌いたいなあと思った。振付付きで。もちろんやったこともないので、練習しなければならない。簡単な見苦しい、助平な振付を自己流でやってみて、それに日本舞踊女形で磨いて振り付ければ宴会芸になるのではないかと目論んだ・もくろんだ。一生懸命やるけれど、馬鹿になり切りさらけだすという芸風。もちろん僕を嫌いな人はさらに嫌うかもしれないが、この路線は面白そう。

 僕はうまくプロのように歌うことを目標にしてきたが、馬鹿になり切り宴会芸を磨くという方法を思いついた。方向転換として面白いし、新境地だと思った。


・ 作業所は、1枚裂織バッグ用が終わった。そして色違いの裂織バッグをまた作ることになった。今日もう織り始めた。だんだん手早くなってきた。同じものを作るマンネリと、失敗しないものを作る負荷がかかり、あたりまえだが、だんだん大変になってきた。慣れてきつつもあるけれど。   


 この本と、アドラー 生きるために大切なこと 、そして 孤独な人が認知行動療法で 素敵なパートナーを見つける方法 の3冊で僕は自分を変えたい。というか、変化させたい。少しずつ修正していきたい。この3冊は強力だし、必須教科書だし、僕の心臓だと思う。

ぶちあげました。ラッパが頭の中で鳴っています。:→スタート地点にしたい。

孤独な人が認知行動療法
素敵なパートナーを見つける方法

を読んでいますが、

p154

引用:問題に抵抗するのではなく、降伏することで問題を克服することから、これは「逆説的技法」と呼ばれます。~


(kurage0147130:
きちんと説明すればよいけれど割愛。わからない場合は、悪いけれどわからなくてもいいや。自分の場合だと、このあいだの歩くスキーで女性と寝たいというのがありました。単なる男だと。この特別な男ではなく凡庸な男というのを受け入れる必要があると感じた。月並みな平凡な男だと。女を見れば欲情する単なる男の一人だと。

 作業所でもどこでも平凡な男として男や女にぶつかっていく必要がありそうだ。

 

p156

引用:(傍点):~しかし、人々を遠ざけている原因は、内気さではありません。原因は、あなたの自己嫌悪にあります。~ 
::p160(傍点)~そうした不快な感情を生む原因が、上記のような想像にある (傍点終わった) のを理解することです。それがあなた自身のつくりだしたものである以上、それを消し去ることもあなたには可能なのです!
:::p162:~自分の仕事や性格がありきたりで、誰の興味もひかないと考えているからです。そのような考えは、自己達成的な予言となって作用します。なぜなら、あなたが自分に良い感情をもてなければ、他人もあなたには興味を示さないかもしれないからです。職業が何であれ、どんな人の人生も(p163)等しく興味深いものです。


(kurege0147130:
ただの男だということや、自動思考にも問題がある。僕はすぐ、孤独のまま誰にも看取られずに死んでいくんだ、彼女のいないまま死ぬ、結婚もできずに養子も取れないで終わるのか、給料も安いままなのか、能力がない、才能がない、皆より劣っている、僕は痩せぽっちでひ弱だ、顔もパッとしないな、

などと、自分に否定的な言葉をバンバン言って呪っている。自分で自分を呪い殺している。自己破壊破滅的だ。これじゃあ浮かばれない。

さあ皆さん、良く御覧なさい、この商品が夢の本なのです、自動思考に効く特効薬、僕の推薦する本です。まだ読んでないけれど、

☆☆心のつぶやきがあなたを変える 井上和臣 星和書店 1900円+税  アマゾン中古なら今は安いよ、500円くらいで4冊くらいいいのがあるよ。 僕は回し者ではないけれど推薦するよ。

 自分の呪いをやめて自分に優しい言葉をかけてやりたい。自分に良い感情をもてなければ、他人も自分に興味をしめさない、という上記の本の引用部分にもあるように、僕も自分に良い感情を持っていきたい。ここまでやっとたどり着いた。ここからがスタート地点だ。父母の下で暮らすうちに、変な型と習慣を身に着け、この家の文化を受け継いでしまった。けれどもうそれも終わりにしたい。自分に良い言葉をかけ、いたわり、大事にし、自分にプラスになるようにしたい。まだ、父母の呪いがかかっている。今は自分で自分を呪っている。今度は、自分で呪いの言葉を捨て、いたわる番だ。ぼくにはできるさ。自分で自分を楽しませ、いたわることが。呪いを捨てよう。そのためには、呪いの言葉を列挙して、その言葉を変えた言葉を発することだ。新しい言葉をしゃべるんだ。

ここでラッパが高らかになる。王女様が出てきて、二人で白馬にまたがる。皆が祝福する。おーなんとチープで安っぽいんだ。ペンキで塗ったようだ。


まじめに、僕はこれらの2冊の本で、方向転換したい。ここまで来たからには何とかやろうと思う。下を向き続け、呪いの言葉をしゃべり、暗くなって、背を丸めるのはもう飽き飽きだ。大体僕は、糞、という言葉しか出てこない。これじゃあ誰も近寄らんぞ。まじめでない取り組みで、まじめな本題でした。