ver1. & ver2.・介護愚痴・ 4/14 Sat 最低ライン・調子一巡

ver1.
 ぶっ飛んだ。転がった。コロコロごろごろ。蹴っ飛ばして遊んだ。ゴロゴロ。重たいボールだなあ。お前の頭。両足で交互に蹴りながら前進だ。ドロドロ出てくるけれど、そんなの知らない。ズボンが赤く染まるが、そんなの知らない。顔にもかかるが、どんどん蹴り込む。最後はゴールの、側溝へゴロン、転がり落ちる。ネチャ。

ver.2
 社会の駒・こま は、捨てていかなければならない。自分などと言う嘘につき合わないで、自分の立場を駒として捨てて、かなぐり捨てて、動かさねばならぬ。希望も将来もなく、駒として散っていく。散っても何も残らない。ただ消えていく。だから駒なんだ。黒い前途に向かって突っ込んで、何も見えなくなって、黒く塗られ、捨てられた。






18:08
 ヤンバン キムチ プレミアム(スーパーで買った)を食べた。本浸かり状態の15日前。うまかった。一番うまかった。


 今日は父に2度も突き上げられた。それで、ケアマネージャーさんに出したい文章をのせます。たぶん出さないで、ここだけで終わる

ケアマネージャーさん、こんにちは。

 今日は、父に2度も突き上げられました。今行っている施設が嫌だ、新しい所にも行きたくないという、それをさんざん聞かされました。その次は、シャワーを浴びていたら、風呂に入れさせろ、と言う内容。父は、80歳だけれど、自分の満足にいかないと周りを突き上げて通そうとする、悪質な甘えん坊ちゃんです。いい加減にせーや。

 ケアマネージャーさんには、僕はどういう輩(やから)に見えるかわかりませんが、父もろくでもないです。

 介護放棄したら罰せられるのでしょうか。家を出たいです。父のためにやるモチベーションがありません。父のちんちんブラブラ紙パンツ取り替えもしているのに、この扱いはないでしょう。ふざけないでほしいです。相手もしたくない。勝手にやっていろ、と言う気持ちです。こんなことを書いている僕も甘えん坊でしょうが、今日は夕食は部屋に籠ってしました。
 
 介護愚痴を聞いてくれる相談室か、男の介護の集いが知りたいです。自分で調べろ、ということかもしれませんが。腹が立つからケアマネージャーさんに泣きつきました。エーン、エーン。

 ありがとうございました。 



 半分、青い。は、最初2回くらい見てなんて面白くないんだと思った。水曜に見て、聴覚障害の話だと分かった。主人公が障害とどう関わり、壁をどうしていくか、描き方に興味がわいてきた。子役は良かったけれど、来週から主人公が変わるみたいだ。ちょっと残念だ。週2回は必ずみられる。(休みの日






・ 昨日の作業所は最低だった。皆にらんでいる雰囲気だった。

 僕は一昨日から走れていなくて、ノロノロだった。それで嫌われているのもある。

 どうしたらいいかわからず、効くやり方がつかめなかった。

 昨日の交通機関は、一昨日からの殴ってやる雰囲気で囲まれた。どうやって対抗するか試行し、父のペニス切断と、父のペニスから脳天まで鉄の棒で貫くというイメージでぶっ潰すやり方が、周りの殴ってやるモードに対して唯一の効く方法だとわかった。これしかなかった。

 それで、調子が一巡し、ぼくはまた、最低ラインからのスタートとなっているのが感じれた。だから、また一から出直しだ。貴乃花親方と同じようなものだ。(ちょっと違うか



・ 作業所へは、ジーンズの古いのを持って行った。新しく買って着なくなったのを。それでバッグを作るらしい。生乾きの臭いがしていたのでファブリーズを持っていこうと思う。自分がもって行ったのに臭かった。ちょっと格好悪い。

・ キムチを食った。ユン ミヲルの韓国キムチというやつだった。うまかった。このキムチならいいなあと思った。




・ 春で、僕も出直しだ。作業所はどうなるか不透明の雰囲気になっている。掃除機もかけ忘れ、布草履の達人にやらせてしまい、大顰蹙・ひんしゅく だった。(僕がやることを期待されている

 リコーダーも下手くそになっていた。こちらも調子が一巡して最低ラインからの再スタートなっているらしかった。

弁護士先生

 弁護士先生の話を聞いて、A型とB型の話が変だなと思ったが、調べてみて、ごっちゃになっている気がする。勘違いされたのだろうと思われる。


 弁護士先生に会いに行きました。(相談に乗ってもらった。いただいた。

 父の問題は、父に任せるべきで僕が介入する話ではないと。暴力になったら刑事だから警察に言えばいい、と言うスタンスだった。おじさんがどうでるかわからないけれど、このスタイルで行くことにした。

 弁護士先生は親切な方で、ぼくがA型に通っていると言うと、B型は会社のようなものだから、いずれは行ったらいいよみたいな話だった。もっと給料も良くなるしと。A型は制度が変わると倒産するし、仕事を覚える場だからステップアップするといいと言われた。障がいの法的な勉強もしたほうがいいと言われた。何歳まで生きるかと言われたら、60歳くらいと答えたら、医学の進歩とかで90くらいまで生きてしまうから、そのための備え、勉強も必要だと言われた。

 僕の兄貴分として、社会正義のための弁護士として活動していることが肌で感じられた。良くして頂いた。

 何が苦手かと聞かれ、対人関係だと答えると、対人関係が苦手だからA型に通えているし時間があるから勉強しなさい、慣れもあるよとアドヴァイスされた。

 とてもよくして頂いた。ありがとうございます。また何かあったら相談に伺います。よろしくお願いします。

4/10(Tue)

 裂き織りのバッグですが、ボスに素敵なのができたと言われ見てみたら、テーラーSG氏の縫製による素敵なバッグになっていた。裂き織りも失敗だと思っていたけれど、新しいジーンズの生地のバッグ布のデザインになっており、失敗とは思えなかった。僕が見ても素敵だった。僕の裂き織りはダメではなかった。

 まあテーラーSG氏のできた裂き織りのトリミングが良かったのもあったと思う。テーラーSG氏のバッシッとした縫いが良かったのかもね。僕のも良かったぞ。


 今日は帰りの交通機関で調子が悪いのが分かった。この調子が悪いですが、調子の悪い日はよく動ける。今日もよく動いたし、皆の(交通機関)殴ってやるモードに対しても、私はどう動くか、どうこいつをさばくかに集中して、頭は回るし動けた。

 最近の僕の調子の悪さは、調子の悪い時ほど調子がいいと言う、逆転現象になっている。前は動けなかった。止まってしまっていた。なんだかねえ、峠を越えたのか?というありがたい調子の悪さになっている。だから、あまり調子の悪い日を敬遠しなくていい。


 僕は、男と言うのを確立するのを固着で乗り越えていないのかも、と思うようになった。子供は父親に同化して男になっていくのだろうけれど、その辺で挫折したか、そこまで行けなかったのかな、と思う。

 子供の発達で、どうやったら男になれるのだ? に興味がある。子供の発達心理学の本を注文してみた。僕の読みたい部分が分量があることを望む。薄かったら本を買った意味がないなあ。僕は男の子の乗り越えるべき発達で座礁したのじゃないのか、と思う。
 最近女性の胸が気になったりする。膨らんでいると、発達しているなあと思う。豊穣だと。

 
 作業所では掃除とかけっこうやっています。交通機関のトイレ掃除の女性も観察している。この人は取り組む姿勢がいいなあ、とか、地下鉄すすきの駅で見た、男の床磨きの人は、熱心にやっていて、新津春子(?)だったかの、空港清掃人みたいな人だと感じた。空港清掃人は、ユーチューブのプロフェッショナル動画で、医者みたいだなと思った。掃除をするために、いろいろな自分の引き出しを広げて最適な方法を選び適用する、処置する、という、僕の真逆のような医者的な取り組みをしていた。


 作業所でやることがなくなって、新しく裂き織りの、黒糸で、ボスが主導で黒糸を選び、経糸(たていと)を張った。セッティング終了。布を切って(裂いて)、新たに始まることになった。注意深く、慎重に、心の声を聴きながら作りたいと思う。胸を張って成功したと言えるのをできたらいいなあ。前回は失敗したと思うくらい、自分の感触はなかった。ボス主導でオレンジのラインを、青の布の中でアクセントに入れたものになった。


 メダカの水槽を全然掃除せず、だいぶ殺してしまった。ひどいやつ。ここ3週間くらい、全く余裕がなかった。あるにはあったが、自分の心のバランス取りに時間を使い、メダカを放ってしまった。この部分で、僕は悪い奴だ。


 通信の裂き織りはできないものかと、検索したりした。(まだ、10分くらいしか見ていない。)


 眠くなったので寝ます。

4/7 (Sat)

4/7 S

 父の借金問題で、再び弁護士先生に相談することになった。お金の話が簡単に終わるとは思っていなかった。僕の雲行きも怪しくなってきた。

 今日は母の施設に行った。風邪を引いていたが元気そうだった。一度だけ帰りたいと言った。いてもらわねがならない。僕には面倒は見れない。アルツハイマー、と担当してくれた前病院の方に聞いたことに答えて頂いた。

 作業所では、失敗した裂き織りのバッグの件で、僕の立場が怪しくなった。何とか裂き織りをできる人にならないと作業所での居場所が作れなくなりそうだった。しばらくやらせてもらえないと思う。一年後とかに話が来た時にできるかどうか。
 作業所のいろいろな作業に結果を出さないと、僕の存在価値が危うくなる。僕も安穏としていられなくなりつつある。作業員の立場としては当然の話ですが。結果を求められます。

 結果を出して、毎日製品を量産するテーラーSG氏は、伝説で雲の上の存在になりつつあります。それだけ自分の立場の小ささに今更ながら気づき始めたということです。遅いぞ! と声がかかる話と場面です。

弱い:

お久しぶりです。

 スカイプカウンセリングをカウンセラーの先生にお願いしてやって頂きました。双方向だというのを知りませんでした。
 僕自身のやるべき内容がなかったので、母のことを相談しました。



 作業所の時給をあげて頂きました。僕に頑張って、見合う分を稼ぎなさいという意味だと理解しました。

 けれど、あげて頂いたのにうれしくありませんでした。
 見落としていたことがありました。家についてから気づいた。僕は弱者なんだなと。ボスは雇用主で、僕は雇って頂いている従業員なのだと。僕は圧倒的に弱い。

 僕の時給をあげて頂いたのもボスの裁量だし。雇って頂いたのもボスの決断。それに比べれば僕は被雇用の場と職場を用意して頂いて、その場所の中で活動できることを用意してもらっている。

 ボスは僕の思いもしないくらい苦労と責任と決断、義務を背負っている。僕は胡坐をかくのみの人間だ。そんな僕なのに、挨拶して帰れなかった。僕は自分の弱い立場を直視できなかった。僕はとても弱い。

 カウンセラーの先生にも、治療と僕の話を聞いてもらう場所を用意して頂いている。僕は昨日のカウンセリングで、よい時の母だったら、僕の母を施設に入れている行動を認めてくれるだろう(だったかな? 集中して聞いていなかった。スカイプに慣れなかったのもある。注意散漫だった)、みたいなことを言って頂いても、自分の苦しさにかまけて先生の意見を素通りさせていた。先生のエネルギーを無駄に使った。

 先生のおかげで僕の生活は良くなった。先生との関係でも僕は弱いのだろう。そこも直視しなかった。僕は本当の所を見ていなかった。

☆ 僕は自分で給料分稼ぐようにしたいと働こうという気持ちでいる。結果を出すように努力しようとしている。これは最低限だと思う。僕にとっては新しく、まだ身に付いていない。働けるようにしようと始めたところ。(何年雇って頂いているのだ!(自分に対して言っている)

本:

・ 目的なき人生を生きる:本 山内志朗 角川新書

Amazon CAPTCHA
 
 ここに出ている見出しだけで読みたくなる。

 道新の書評で小倉孝誠 氏が書いていた

 頼んだ。自分を運営していくのに羅針盤として使えそうだと思った。スタ―本かもしれない。



・ 小さな倫理学入門 

も、倫理学好きだし弱いという言葉が入っていたので頼んだ。(AMAZON説明)

 そして

・ 誰が世界を支配しているのか? 

 も頼んだ。阿部総理、トランプ大統領 など、生きづらい時代にトップになっている人たち。その人たちの出てきた時代や権力のよりどころが知りたい。僕のような末端も苦しい感じの雰囲気に飲まれている。時代背景がわかるのではないのかと思って頼んでみた。

たべもの

 北海道の知内のニラを使った、ニラと豚肉を炒めてコショー しょう油 酒で味付けしたのを作った。うまかった。ニラは旬なのでおいしい。こちらで買うとなると、知内のニラと決まっている。

 母が家にいた時は、なめこの味噌汁が結構あって、こんなまずいもの作らなくていいのになあ、と思っていた。
 けれど朝食を作る役割をやるようになって、なめこのパックは便利だし(袋を破って押すだけでできる)、味自体も好きになった。


 高校生の頃、豆乳を母が買ってきて、3回くらい飲んだ。こんなまずいものがあるんだと思った。
 12月に戸配で注文していて、どこに行ったのかな、頼まなかったのかなあ、と思ったらトマトジュースだと思い込んでいたのがそうだった。1リットル×6本も注文してしまっていたのだなあ。
 1月22日ころに賞味期限が切れていたのだけれど、この豆乳がうまい。こんなうまいもの一人で飲んでいいのかと思うくらい うまい。齢をとったら大好きになっていた。注文した時点で、僕の味覚は違っていておいしいと思うようになっていたから注文したのだなと感じた。

 このように書いてきたけれど、立場や時間の変化で好き嫌いが変わったりする。僕は基本的には嫌いなものはない。できれば本場の味と言うものをたくさん食べたいという願望はある。



 作業所は、普通に作業ができた。なぜか普通ぽかった。行き返りの交通機関で読書もできたし、調子は良いのだろう。ありがたいです。
 調子の悪いのは日常茶飯事で、結構影響を受けて滅入ったり落ち込んだりすることが多いので、調子のよいのは大歓迎だ。

苦しい時は逃げを打つme.

 今日は、掃除機がけを忘れ、布草履の達人にやらせてしまった。

 僕は、苦しくなると威張りだして、なまけるという行動をとっていることに気が付いた。


 午前中は台紙の切り抜きにまじめに取り組んだ。昼ごろに、糸除去も頼まれそれもこなした。

 ここまではよいが、皿洗い、台紙の切り抜きの午後の活動は、僕は頑張っていると自分に言い、ノロノロになり、人から見たら怠けていたと思う。

 僕は、疲れると、いっぱいいっぱいになると自分に言い訳を言い、ノロノロとやって楽をしていることに気が付いた。

 疲れた時にさらに追い込んで背負いこむことをせず、荷を下ろして楽をしていた。怠け者らしい。テーラーSG氏は、大変な時もさらに追い込んで走っている。僕は手を抜いて楽をして息抜きをしている。言い訳をして、頑張っていると自分に言い、怠惰になる。||||||||||||||||||||||||||||||||||||

 苦しい時にさらに走ることをしていない。怠けに言い訳を使用する。今のところ仕事のできない怠け者だ。 

自立しつつあるのか、自立したいのか。ちょっと動いた。

 ご無沙汰しています。最近低調でした。一昨日くらいから持ち直しました。

 前回の自分で作った憲法ですが、自分の分を自分で稼ぐという意識でやるのは自立につながると思う。いままで、ダラダラ働いておこぼれは分配されて当然と思っていたけれどそうではないらしい。

 作業所で裂き織りをやらせてもらって、本を読まないでインターロッキングのようなことをして、デザイン的にも出来でも失敗した。成功はしていなかった。それで

〇結果を出すことができなかった。僕の身分は丁稚(でっち)です。

みたいなことを日報に書いた。僕は一生懸命やったけれど、失敗した。給料をもらって成功させようとして失敗となった。タダメシ食いの給料ドロボーだと思った。仕事人ではなく、迷惑をかけながら仕事を覚えさせてもらえる丁稚の身分だと感じた。

 皿洗いを女性に半分やってもらっているので、掃除機かけは、担当日は全部やった。週4日だけれど。丁稚としてできることはやっておこうというようなもの。

 失敗の後、裂き織りの糸作り、着物を切って、管に巻く作業をやらせてもらった。それで、自分の給料を稼ごうという意識になった。どうでもいいような作業、赤布で今はそんなに使わない、いつ使うのかわからない、だけれど、カッティングの練習になるし、鋏と布扱いの練習になる。自分で稼ごうという意識が強すぎてもダメだし、布の気持ちも聞かないとダメだと思った。今回失敗したのも、裂き織りの気持ち、布の心を聞こうとしなかったのもあったと思った。前回裂き織りが成功したのは布の心を聞きながら織ったからデザインが良くなった。今回作る意識が強すぎ、聞く気持ちがなかった。それを踏まえて。まっすぐ切ろうとし、左右の布の気持ち・余白を聞きながら切ろうとした。
 
 午前中は異様に集中した。午後は散漫になった。これが昨日のこと。


 今日は母の施設に行き、配線を買った。地元の学生が路上で倒れており、それを通りがかりの学生が介護しているところらしかった。遠くから見たら、後輩が運動の手助けを先輩にしているのかと思った。消防車が来て、僕は失礼した。寝不足じゃないのかなと思った。そんなに命の危険には思われなかった。勝手な憶測。本人には大事件だったのか?

 女の子、小学生に2人組にあいさつされて、なんでかなかと思った。ちょっと訝った・いぶかった返事のあいさつになった。
僕は首が潰れてやってきたので、馬鹿にされるか、避けられることはあっても、あまり関わろうと言う人は少なかった。それでなんでかなと。

 作業所でも、テーラーSG先輩が、若い女性に2回も話しかけて溜まっているのかなと感じた。僕が溜まっているし、そういう時は若い女性に反応するから。そういう男目線も自分に出てきた。男と芽が出て育ちつつあるかなと。

 

 日常は作業所に出かけて、飯を帰ってから作り、父と食って終わり。時間がないと。時間は作るもんだとは思っている。
 テレビを見るなら、その時間を休息に充てないで、後で時間を作ってと考えていたリコーダーを吹いたらどうだと。

 時間を作って何かをするのは現実的ではない。無駄な時間を使わないで、休みたいなら、その休みをリコーダーにしてしまったほうがいい。頭を使いたいなら、汽車に揺られる時間を単語を覚える英語時間に充ててしまうとか。

 英語はやらないかもしれないが、今日はリコーダーを吹いた。自分で稼ごうとし、シンパシーぽく、堂々と吹けた。20分くらい。最近では一番の出来。なぜだか。なぜかリコーダーでいろいろできそうに感じた。


 作業所では今まで、失敗しないように、他の人から嫌われないように、気に入られようと、小さく、隠れるように、自分を殺し、排除されることを恐れてきた。
 いまは、自分で稼ごうと思っているし、どう思われようが、どう思われるかよりどうしたらいいだろう、自分の活動としてどうしたいか、どうすれば主体的・自律的な状態を作れるかという目線のようなものになってきたので、他者の評価は捨てつつある。特に僕に対する否定的な評価。

 クリス・ハートに興味があるけれど、すごく歌声に求心力があり、おもしろくて、惹かれる。今かかっているのはスマッシング・パンプキンズクリス・ハートはCDが欲しい。中古で十分。なぜ魅力があるのか、探り・さぐりたい。

3/20 :{T(u)e}:

 ご無沙汰しています。あまり調子が良くありません。今日は最低でした。この間も最低の日があった。今日よりはこの間のほうがひどかった。その日は空回りで作業所は終わった。だから次の日頑張らねばならなかった。

 ・7つの習慣に学ぶ手帳術

 の憲法をつくれずにいたけれど、最近作業所へ通いだしたのでその流れの中でとりあえずできた。


{{::

 ・過去とは違う現在(現在で選択変更可)、未来とは異なる現在(死を含む未来・約束されない未来)を対自的、自主的・自律的に生きる

 ・個人事業主たる労働者は、主体的に(通っている作業所の名称)に沿って判断し、考え、感じ行動する。
 個人の労働力を提供し、その分を賃金に充当させ、自分で自分の賃金以上を稼ぎ出す・

 (通っている作業所の名称・集団としての)発展のため、全力を挙げて貢献しようと試みる。

}}::


 交通機関の中で作った。これは理想ではなく、ことごとく現在の僕の状態立場の逆を書いたもの。今の自分にできないことをそのままでは嫌なので、ひっくり返して目標になるように願望・目標、課題として描いた。何とか少しでも良くならないか

16 Fri 芸術家気取りはいかんme /14/社会参加10/ぶつける男

 一昨日も調子が悪く、昨日はノロノロモタモタ全然進まなかった。

 今日になって、このままだといられなくなると思い、自分の場所を確保したくなんとかしたいとあがいた。
 裂き織りをさせて頂いていますが、ボスの指定の織りが難しく、目を飛ばしたり、汚くなったり、グチャグチャになっていた。

 今日は比較的何とかなり、何とかしたいという願望はかなった。昨日の僕は、頑張っている人を愚弄するかのようにノタノタだった。

 ボス指定の奴をやっていて、僕はデザインできるんだという変な気持ちが沸き起こり心を占拠した。なぜこのような気持ちが起こったか考えていて、これは男をぶつけていないから、デザインとか、芸術とか、センスとか得体のしれない言葉の部分を御馳走(使っていた)になっていたことに気づいた。これはいかんと、まじめにやろうとして、男をぶつけることに気づいた。
 その前からの、技術が大事だ、頭を使おうという流れの中で気づいた言葉。

 僕は頭を使わないやつなので、何とか頭を使うことで、今日の不利な自分の場所を改善したく思い動いていた。難しい織りなので頭を使わないとダメだと思った。(僕だけが難しく感じているのかもしれないが)

 うんこの場所で(自分の居場所)、ゴミだらけになりつつ(奮闘している様子を今日の調子の悪さで表現)、あがいていた。

 僕にとって、調子の悪い日はものすごく大事で、次へのステップの前段階になっている。だから蔑ろ(ないがしろ)にできない。がんばらないと潰れる日で、もがき方次第で明日が開ける日でもある。


 今日も頭(こうべ)を下げて一日を送った。(驕り(おごり)ようがない)






3/14 Wed


 ものぐさ精神分析を頼んだら、二番煎じ ものぐさ精神分析が届いた。(1978年)ISBNとかバーコードとかない本。古本を買った。読むので返品しないが、30円安くしてくれと頼んだ。

 作業所では、低調になり、歩いて作業になってしまっていた。皆は走っていた。

 裂き織りもやらせてもらった。ありがたい幸せ者です。着物は、スタッフから徐々に難しい糸ほどきへとシフトしていっている。だんだんやりづらい着物になってきた。黄色いやつで、穴をたくさんあけて、その穴の周りを刺繍している、機械刺繍の凝ったもの。僕もこの着物好きです。物が新しくてきれいだし。

ただ、ミシン掛けで縫ってあり、ほどくのに、追い込みの指の状態を作らないと糸を除去できない、だんだん難しい品になってきた。スタッフは親切に、徐々に段階を追っていけるように根回ししてくれている。いきなり難しいのをやったら、復帰後なので音を上げたかもしれない。ありがたや。でも逃げ出したい。

 こういうのをやると仕事とは、走ることで、追い込みをかけることで、無理やりやるものらしいと、薄々気づく。

 こう書くと格好良いけれど、最近低調で、僕は1人ズレていた。作業は遅いし。他人からは怠けて見えたかも。

 テーラーSG 氏から見ると、たるんで見えたと思う。氏は仕事に対する姿勢は一級品だ。僕の立場からはそうとしか言えない。僕は仕事のできない人間で、何とか脱出しよともがいている状態。

 そういえば弁当が、皆はサンマだったのに、僕だけ鮭だった。指摘されて気づいた。残ったやつが、別物だったらしい。足りなくなったのだろう。ありがたや。どうも今日は取り違えの日らしい。僕は前に、物を拾って届けるのが、3日連続とかいうのがあったなあ。2年くらい前。

 今日は食事が早く終わったので、早く寝られる。これもありがたや。土曜日から風呂に入っていない。今週も汚い奴になる予定。ハエがたかり、蛆がわき、臭い奴への階段を一段ずつ登っていきます。おーラッキー。


 今日のような不利な日は、手や足をペニスとして扱い、父のペニス切断イメージを多用して、僕の不利なのを好転させようともがいた。効いていたのかどうなのか自分でも不明。そうでもしないと不利で潰れそうだった。他者が恐かった。最後の局面になったら、自分が消えるのも仕方がないと諦めるように持って行った。そうでもしないと、他者に対抗できない。バランスはとろうとした。ギリギリの所で。そのつもりだった。いい気だったのか。じぶんでもなんだか。悪あがきしながら、もがいた。 



3/10 Sat 


 3/9 Fri に 作業していて、男としてやろうといろいろ試行錯誤していた。

 後ろでアイロンをかける人が色っぽく、(やりてー:と心の中で絶叫していた)、それをスタッフが見ていたらしく、中高生みたいだと思ったと思う。ここは想像。

 これはあまり良くない態度だと思い、別のことを模索していた。そしたら、
 


 テーラーSG氏が、
(暑くないか、止めよう)

:暖房器具の熱で部屋がheatしていた)と、一緒に作業している皆に語りかけた。それは一緒と言う言葉がふさわしく、皆で同時に手芸部門で仕事をする仲間に語りかける言葉だった。これを聞いて、僕も集団に社会参加したいと思い、集団の作業に加わってみなと同じ土俵に乗ろうとした。


 これを察知したテーラーSG氏は、ミシンを思いっきり踏んで、その前から頑張っていた仕事をさらに加速させ、僕に対抗心剥き出しに攻撃を四方へ向けて作業を続行した。


 掃除機をかけようと、掃除機をかけることで集団に参加しようとした僕を、コードを引っ張り出した:引っ張る音がでかく部屋に響く、(俺がやる)とテーラー氏が取り上げたので渡した、テーラー氏は作業でも大変なのにさらに掃除機までやった。完全に僕にライバル心を見せ、敵対的に行動した。

 テーラー氏が作業終わりころ、帰ろうと僕に言ったけれど、テーラー氏の本気印の頑張りに脅威を感じていたので、ギリギリまで作業して送迎車に乗り込んだ。

 送迎車に乗る前、作業部屋で皆にお疲れ様と言われたけれど、普段言わない人も声をかけてきた。僕は皆は気づいていたのだな・僕の社会参加:集団参加をと感じた。

 この社会参加をするまで、僕は丸まっていたけれど、5分くらいの参加の時間は皆に体線を向け、同じ土俵に気配を向けた。そっぽを向いたり、うなだれていなかった。なぜかこの時はできたんだな、これが。

 徐々にこのような時間と場所、機会を持てれば、社会参加も板につくと思う。ありがたや。

 


 テーラーSG 氏とは今後もやりあうと思う。よろしくお願いします。あなたは壁になろうとしているようですね。僕は、徐々に自分の壁を壊したいです。
僕にとってのテーラー氏は仕事の鏡で、先輩で、見習う人だけれど、負けたくない気持ちは僕もたっぷり持っているつもりです。僕もテーラーSG氏に、男をぶつけて本気でやりあいたいです。テーラー氏は生きざまにポリシーを持っている、僕にはないものを持つ人なので、僕も吸収して頑張りたい。胸を借りて稽古します。






3/7 Wed

 作業所での僕の立場は悪い。

 男として積極的に関わることができず、立場を悪くしている。最近思っているのは、男として世界の中で他者に作業にぶつけていくというもの。環境の中で人間の中で男と言う個人が単独で世界に関わるのは積極的な関わりでぶつけるという言葉だと思う。一週間くらい前は、集団の中の男、積極的に関わるというのは、集団の中で自分の立場を出した時に、自分と他者が同時に同じ土俵に乗ることではないのかと思い感じていた。そのあと、調子を崩しつつある。

 男としてぶつけていく以外に自己内に閉じこもるのから脱出する方法はないように感じる。僕は社会的引きこもりではなく、自分の中の殻に閉じこもる自己ひきこもりでやってきたから。それが男を抑圧した姿だった。


 あるスタッフと僕は折り合いが悪い。どうも向こうがゲームをしていて僕との関係を変にしようと思っているらしい。その人の立場なら僕を本気で排除しようと思えばできるのにソフトに変な関係をつくろうとしている、そこにゲーム性を感じる。




 そのスタッフと布草履の達人が良い関係を作っているのを見てうらやましく思えた。理想の関係だと。

 その理想と言うのが曲者(くせもの)で、作業中に考えて見破ったけれど、理想と言うのは存在しない。個人が相手と男をぶつけて作る関係はその個人に固有のもので、その個人と相手との関係で、僕にとってはそのスタッフとのねじまがった関係も唯一無二で大事なものだ。ねじまがった関係としてそのスタッフとの僕にとっての関係が大事になる。これは、僕が男をそのスタッフにぶつけた場合に可能になる。そのスタッフと僕との固有な関係。どんな関係だとしても僕にとってのは大事なものだ。


 男として世界にぶつけるというのは、周りの僕に対する反応は関係ないという意味になる。周りが僕をどう扱おうが、僕にとってのその相手との関係が大事なので、相手が価値観を僕に表明して、値引き行動をとっても(咳とか否定的ニュアンス)そんなの関係なくなる。その否定的関係性が固有のものとして大事になる。





 今日は母を病院に連れて行って頂いた高齢者支援センターの方に電話をかけたが、つながらなかった。僕が菓子折りを送った時、食えみたいなニュアンスだったのを、ゲーム報復行動として取っているらしかった。気になるが、先の話の筋で行くと、その支援センターの方との否定的関係も固有のものとして大事になる。僕にとってのその方との関係性として。

 なぜ食えになったかと言うと、僕のほうが下と言う関係が続いて、菓子折りを送って関係が上から目線になり、そこを利用した僕の態度かもしれない。それだけ僕が引っ込んできた、いじけてきた、腰が引けていたということかもしれない。男としてぶつけていればそういう関係性にはならなかったかもしれない。



 男としてぶつけて走らないと、作業所の立場はますます悪くなると思われる。どうも居心地が悪い。こうみると、僕はかなり屈折しイジケテ、うな垂れて、腰砕けらしい。かなり格好悪い。」





 作業所と料理と雑用で時間は消費される。余力ゼロ。
・ 今日はリコーダー30分くらい吹いた。これが唯一。あと、このブログ打ち込みバック・スマッシングパンプキンズ。そしてシャワー。先週は週一しかシャワーを浴びなかった。髪を洗うのだけ2日おきで、身体は汚かった。不潔もトレードマークになりつつある。湖池屋の梅ポテトチップスは、食べるほどに手が引っ込んだ。食べれば食べるほど一口前に戻りたくなる。食の進まないものだった。酸っぱさが後ろ向きを作り出す感覚だった。

3/1 Thu 腰砕け爺のme /27/25/決(職

3/1 Thu

 皿洗い後の作業で・着物の糸を除去していて、ノロノロだった。それは自分を一生懸命やっている、僕は頑張っていると自己正当化して、自分をごまかしの小道に踏み込ませていたから。

 テーラーSG氏は、いつも全力で疾走しながら作業している。ギャンブルを趣味としているが、これをばかげていると非難できない。テーラーSG氏のギャンブルは、一生懸命、全力、一回きりの裏返しだと思われるから。真剣なぶん、ごまかしのない生き方のせいだともいえる。

 なぜ、テーラーSG 氏が真剣に全力で生きられるのに、僕はのらりくらりしているのか。
 僕は自分内引きこもりを長年やってきた。これを打破するのは、男として、世界に、他者に、作業にぶつけていく、積極的な関わりしかないと思う。自分の殻にこもり、のらりくらり自分内で処理していてはどうしようもない。

 この壁を壊さないと、作業もノラリクラリと曇ったガラス越しに世界を眺め、籠の中でマスターベーションするような情けない状態を維持し続け、腐っていくだろう。

 男として全力でぶつかる姿勢が僕にはない。僕は、正当化し、ひきこもり、自己満足のガラスの城で、ウハウハ間抜け面を紅潮させて興奮するだけだろう。

 何としても作業を軌道に乗せないと、いられなくなるだろう。それを突破するのは、男しかない。ぶつけることしかない。

 今の僕はとても情けないめめしい、インポ、早漏、腰砕けじじいだろう。(表現上これで書いているだけです。頑張る可能です)

 



27 Tue

 作業所ではみなさんに良くして頂いています。眠いです。食事作って終わりです。






25 Sun

 前の作業所へ行きました。作業所の皆さんは僕が家にいた間、働いていたわけで、僕は皆より3か月遅れているなと思った。
 僕は皆の後から、3か月後から追いかけているの図になるのだろうと思った。

 薬を昼に飲まなかったせいか、被害者的な感情を持ったのかもしれない。


 今日は日曜日だから人が少なかったけれど、明日はいろいろと洗礼を受けることになるかもしれない。覚悟をしておこう。でも、今日行ってしまったから山は越えた気もする。 

 飯を作って、父の着替えをして、頭洗って、それで自由時間は終わりになる。これを打っているというのもある。新聞ものぞいた。自由は利かなくなった。予想通り。

 ないようはないです。



23 Fri

 職安に行きました。(ハローワーク

 最初のほうに前の作業所が出ていました。僕は1人の募集だと思い込んでいた。

 ミシンや裂き織り、清掃、パソコンと職を見た。

 その中で、ミシンと裂き織りをしたいと思った。でも、前の作業所とダブる。どうするか、前の作業所に戻るか、別でやるか。

 ミシンを踏むのは向かないだろうと思った。裂き織りをしたいなら、前の作業所へ戻るべきだと思った。前の作業所は2人募集で、小物を作るのを2人募集かけていた、だから1人くらい僕のようなあまり戦力でないのがいてもいいだろうと思った。



 それで、前の作業所に応募した。(父母の面倒を見るようになるまで通っていた作業所。2017/12/01 まで在籍していた。) すんなり通った。日曜から通うことになりました。父のケアマネージャー様に電話して、調整して頂いた。何から何までおんぶして整えて頂いた。

 今度通うからには、骨を埋(うず)める覚悟でないとダメだろうと感じる。定年まで働く気持ちで通わないとダメだろうとは思う。頭を下げて何でもやる気でないと沈むと思う。よろしくお願いします。

 そして、これを読んで頂いている方々にも、へんな僕だけれど、何とか働くことができるようになりました。ありがとうございます。

 ケアマネージャー様にはお菓子を送りたい。遠いので宅配便で失礼する。では、リコーダーに触って寝ます。バイバイ。

オリンピックと自己評価:22 Thu  + 追追記 /19/18

~追記:オリンピックと自己評価:~



 選手がオリンピックで金メダルを取るのは拍手を送りたいし応援してきた。

 でも、醒めてみると、

 メダルをとっても負けても同じではないのかと。本人の中ではメダルを取れば盛り上がるし、負ければ気分は沈む。社会的な評価も伴う。
 
 けれど、勝者も敗者もどちらも自分でやることで、自分の活動としてある。メダルは同じ条件で選手が競っているという条件・環境を用意し、上位3人にメダルが授与される、と言う形を取る。

 競技に打ち込み、自分を全身全霊で取り組んできた選手はメダルを欲しい、結果を形あるものにしたいと望むだろうけれど、メダルをくれると言うのは、相手がやることだ。自分としては勝者も敗者も自分でやっていかなければならない。自分のやることに全力を傾ける以外に為(な)す術(すべ)はない。7つの習慣 の 影響の輪 しかコントロールできない。結果に対して周りがふるまうことは・マスコミ・メダル授与は相手がやることだ。だから自分のできることに全力をかける以外にすべはない。ただそれだけ。あとは関係ない。自己ベストが最高のご褒美で、それ以上を求めるべきでもないのだろう。



 選手は自分のできること以外に何も求めるべきではない。それを越えることをしようとすると、競技に緊張したり失敗したりすると思う。ただ行い、結果を受け入れる。それしかないしそこに宝が埋まっていると思う。

競技のパフォーマンスに下す自己評価が最高のもので、メダルは関係ない。メダルはなくても自己ベストをオリンピックで出したのなら、その人は十全な完成者で成功者だと思う。一番大事なのは自己評価だと思う。





追追記(13:54):

 歌ってきた。林へ出かけた。支払いに出かける気分で足を運んだ。

 smashing pumpkins , bullet with butterfly wings

 4回やって、5回目は力が入らなかった。


 1回目が流して慣れた。2回目から4回目は父母を潰す気持ちで歌った。結果は負けた。

 自分としては頑張ってぶっ潰しをかけたけれど、出来は抜けなかった。力が十全に入らなかった、潰し切れなかったということです。不完全だった。40%くらいの結果だった。

 結構頑張っていたのだけれど、圧倒できなかった。力も曲がっている感じだった。ストレートにぶつけて倒すという状態にならなかった。エネルギーを向けたけれど、すっと力がかわされるような、伝えきれなかった。簡単に言うと負け。50%までもっていけなかった。残念だった。かなり挑(いど)んだのだけれど、だめだった。

 いつになったら、こちらが有利になるのだろう。もう51歳だよ。このまま朽ちるのか。56でヨボヨボだよ。あと5年しかないよ。なんとかならんのか。なんともならなかった。負けと言っていいが、やることはやったのでサバサバした気分だった。負けを認めてサッパリ帰ってきた。帰り道をトボトボ歩いて帰ってきた。


 昨日も今日も風呂に入っていないよ。汚いよ僕。どうでもよかったか。

 もう歌う機会はそんなにないだろう。残念だ。力を発揮したかった。首が伸びきっていないから勝てないのはわかっていた。だから最初から敗北は織り込み済みだった。やるからにはもうちょっと前へ行きたかった。


 明日は職安へ行く予定。障がい者枠で探します。初日で決まるといいが、長引くとめげるなあ。長引きそうになったら、失業保険でお金をもらいたい。もう働ける状態になったので、給付を受けてもいいだろう。どうでもいい話でした。ちゃんちゃん。





 ご無沙汰してしまいました。

 一昨日は、父と介護タクシーで母の施設見学に行きました。母は相変わらずでマイペースでやっていました。入所するのかしないのかわからない態度をとっていた。金のことばかり心配して、施設をどう思っているのかわからなかった。そちらのほうが肝心で気になるところだったけれど。

 その夜は、生協の戸配の注文をやる予定だったけれど、やる気が起きず、バイアスロンのオリンピック動画を見たいと思い検索して時間を浪費した。生協のはやらなかった。教訓として、やる予定で時間をとってもやる気が起きないときは、別の活動に差し替える必要があると思った。リコーダーを吹くとか読書するとか。動画検索で時間をつぶすのはもったいないし、逃避的だった。

 昨日も読書したりしていろいろ活動できた。最初に大きな石を入れる作戦だった。
 読んだ本の中で、

・からだの自然が目を覚ます 気功入門 天野泰司 春秋社

という中古で買っておいた本を読んだ。買った動機も、 ・太極拳をはじめませんか をあまりやらないことだった。

太極拳をはじめませんか の付属DVDは素晴らしいが、面倒でやらない。

 気功の本の感想は、平易で、文字の間隔が広く、文字も大きく読みやすい。詩の本のような印象。イラストも微笑ましい。入門者向けにできている。

 この本の ゆるむ 感じる 自然に動く の、最初のゆるむというリラックスするというのが一番最初に来ていて、太極拳をやらない理由として、このゆるむができていないせいかなと思った。気功もやることがいろいろあるらしいが、大事で最初に来るのが この ゆるむ らしい。これが土台になるみたい。僕は太極拳でも緊張していたし、この最初の段階でつまづいているから続かないのかなと自己弁護してみた。実際は続かない理由はよくわからない。
 この本を読んで、気功のゆるむを何とか体得したい。ここをクリアするといろいろ開けるかもしれない。妄想か? やはり逃げか? 

 
 7つの習慣のキンドルダウンロードの(1)の電子ブックは読み終えた。弱虫でいいんだよ も読み終えた。僕はものすごい時間がかかるやつなのだけれど、無事読めて良かった。楽しかった。今は、7つの習慣 実践ストーリー 家族とビジネスを読むのを楽しみにしている・日課にしている。他の人が7つの習慣をやってみて、どこに着目しどう取り組んでいるか 興味があった。

 感じたのは、人に対して積極的に関わっているというもの。引いたりしないで、自分から関係づくりをしようと、積極手に相手にぶつかっていっている。前の作業所での僕の成功例:皿洗い・掃除機・ゴミ管理 は仕事に積極的に関わっていこうとしてうまくいった例だった。今度働く時にまたできるかわからないけれど、何らかの形で積極的にならないと定着できないことが予想される。自分の側から仕事に人に対して支払っていく・エネルギーを余分に払う気持ちがないと辞めたいと思うことだろう。ここは最初から覚悟が求められる。


 明日から職安に通おうと思っています。何とか働きたい。今回、介護と言うのが僕のネックになると思うが、何とか採用して頂きたい。(僕の側から退社時間や休みに要望が出るので、採用者に蹴られる可能性はある)
 
 気功をしながら作業所に通い、気功をしながら退社して、余分な交通時間を自分の活動に組み込みたい。

 歌もできなくなるので、今日は通いたい。でもやはり逃げ出してやらないのか。手芸の時間も割り振りたい。これからは時間がなくなると思う。いままでも時間はあってもロスしたり、うまく使えていなかった。(家の雑事・母の面倒(今は入院しているが12月下旬まで振り回された)父の面倒にかかって、うまく自分を回したり活動的になれなかった)


 昨日から  

・20歳からの現代文入門 ノートをつけながら深く読む  中島克治 
のやり方に取り組み始めた。

弱虫でいいんだよ  
でやり始めた。これも続けられれば良いのだけれど、どうなるか。






・7つの習慣に学ぶ手帳術

に出てくる 大きな石を先に入れる・急いでいないけれど自分にとって大事な活動をやった。先に大事なものを時間を割いて、この時間にやろうと押さえた。

・ ダイソーのランチョンマットの端の糸を1時間かかって取った。もう着物の糸ほどきから3か月遠ざかっていたので下手だった。でも久しぶりに手芸にかかわった。父母の面倒を見るようになってから2回目の手芸だった。(家でやることとして)

・ 料理本も時間を押さえて読んでみた。ざっと読んだので、本は使えると思う。最初からあまりまとめてやらないで、2日くらいずつレシピを参考に作ることができればいいと思った。1週間まわさないで、せめてもの2日回しとして。



・ リコーダーも吹いた。15分の予定が、45分くらい吹いた。とても楽しかったけれど、先を急いで少し雑だった。感触はまあまあです。あまり思い入れを込めていなかった、さっぱりと吹いていた。花岡和生氏のリコーダーも聞いてみた。(CD)

 僕のインターネットリコーダー先生の模範演奏は素晴らしいです。自分の吹き方と比べると雲泥の差がある。近づきたくても、どこがどのくらい差があるかわからないくらいかけ離れている。堂々としている、安定感がある、品格もある、立派な演奏だ。

 今日は充実させることができた。ラッキーだった。このように進むとありがたいのだけれど。寝る。おやすみなさい。

 ケアマネージャー様に契約書を渡した。何から何もまでお膳立てしてもらっている。お礼もしなければならない。

 明日は母の施設の見学場所で落ち合うことになっている。(病院の方々とかと)



2018/02//13(Tue)
に先生にアシュフォードを触らせて頂いて織ったコースター。
糸も前に先生に頂いたもの。

f:id:kurage0147130:20080101000019j:plain

毛糸の虫のような感触になった。モソモソした毛羽立った糸。
今日、端を結んで完成させた。さっそく使う。薬や水を入れたコップをのせる。


 だいたいお察しのように低調です。金曜日はカウンセリングへ出かけましたが、言うことやること何もなく、低調で終わった。次回も働きに出かけるので予約を入れられず保留になっている。

 やっと、月曜日にケアマネージャー様に契約書を手渡せることになった。また、母の入所する施設を火曜日に父とともに見学に行く予定。現地で母と病院の方々と落ち合う予定。まだ決まったわけではないけれど、金額面で変更できないことになるだろう。母の手持ちの年金額が少ない。


 僕はオリンピックでもメダルを取る人は誰もいないのではないかと思ったが、そういうのは、僕が自分のやることをできないと決め付け範囲を狭くしている見方から生まれた、偏屈からきているなと思った。これは変えたい部分だと思った。

・7つの習慣に学ぶ手帳術

という大きな字の中身の少ない本を読んでいるけれど、僕の憲法は、自分が取り組もうと思ったことは必ずできることだ!! みたいなニュアンスを盛り込まないと、このまま打ちひしがれて爺になっていく、もう片足踏み込んでいるが、ことになるだろう。本のように、自分の葬式に何もできなかった、で終わりたいとは思わないし。

15 Thu / 14 /13アシュフォード

15 Thu

平成30年2月15日 木曜日



7つの習慣」クイックマスター・シリーズ 第一の習慣:主体性を発揮する 選択する力 (※安くて、小分け販売)(取組中)

 をkindleダウンロードで読んでいます。



約束し、守る(82% No.822)


引用:



~自分の人生は自分で選択すべきです。

 一つ目は「約束し、それを守る」ことです。どんなに小さなことであっても、自分あるいは他人に対して約束したら、それを守ること。誠実さが育てられ、責任を引き受ける力がわいてきます。


 もう一つのコヴィー博士からの提案は、「目標を設定し、それを達成するために働く」ことです。~

(kurage0147130): 僕は自分との約束を破ることがほとんどだ。これをやろうと決めていても、ダラダラしてやらないことが多い。だからか自信がない。
そして、約束とは言うが、僕は自分に対して約束と言うか分量が多すぎる。あれもやろうこれもやろうと、自分に対して約束することが多くなってしまう。これをどうすればいいかいまはわからない。



「目標を設定し、それを達成するために働く」と言う表現の、

『働く』と言う言葉が気になった。ぼくはあれもこれもやろうと、やろうということだけれど、実際はやるべきことに対する支払だし(自分にとっての支払い)、働くという表現は自分のやるべきことをやるという、支払いで労働を提供するという、自分の目標であっても自分の働くという表現で、やるべきことをやるという意味合いだと感じた。この言葉にミラクルを感じた。とても僕にとって大事な表現だと感じる。



☆☆ 勤労、求めに対する支払、自分のやることを遊びにしてしまわないで、積極的に関わり一歩踏み込んで身を粉にして自分と言うのを提供する、
自分を捨てて全部そこに投げ入れる積極的な関係を結ぶ、それが自分にとっての目標だと思う。目標とのかかわり方だと思う。

 目標に対して、働く、と言う言葉を使う意味がそこにあると思う。

 時間をやり繰りして、何が何でもやるという意味合いも「働く」と言う言葉にはあると思う。


 僕は自分の個人的なやることを遊びにしようと逃げを行っている節(ふし)があると思う。逃げ根性、が染みついているかもしれない。



オリンピック:宮原選手は、インタビューで(団体)失敗してもネガティブなことは一切言わなかった。そういう気持ち、失敗に対するいろいろはあったのだろうけれど、敢えて言わなかったのだろう。その、コントロールしているところが、プロっぽいと思った。
平野選手は、おごったところ、浮ついたところが一切なく、落ち着いていて男らしいなと感じた。トップ選手だから皆が憧れるスターなのだろうけれど、淡々とやることをやっていたように見えた。好ましく感じた。



14 Wed

 介護タクシーの方に来て頂いて、予約してあったクリニックに父と出かけた。割とスムーズに運んだ。ラッキーだと感じる。


・3人しか席がない枠に入るというのは、人間とは思えないくらいすごいことなのだろう。誰も取れないのかと思ったけれど、取るべき人はしっかり実力を出して場所を作っていた。(もちろんピョンチャン・冬季オリンピック

 



13 Tue

 織りの先生がアシュフォードを試させてくれるということなので、先生が自宅から教室へ持ってきてくれる、出かけました。ありがたいです。

 ためしを触らせていただきました。綜絖を上に下にと持ち上げたり下げたりして織るという、とてもプリミティブ(原初的)なものでした。正直言って咲き織りのほうがいいと思ったけれど、ずっとやらせてもらった。そのうち慣れてきた。慣れてきたらこの原始的なのもいいかなとは思った。でも咲き織りがいいと思っていた。

 織り終わって取り外して、先生にチケット買って指導を受けるという話が、先生はさをり織りの先生だから金をとるのは変だよ、と言ったニュアンスでした。金を払ってインターネットで習うのは歓迎されていないようでした。

 先生に自宅から織り機を持っていただき、触らせて頂いて、どんなものかわかった。シンプルなだけに壊れづらいとも思った。
 得難い機会を頂き、先生はアシュフォードを勧めるので、軽い綜絖のアシュフォードもいいかなと思った。身体に負担がかかりづらいアシュフォード、咲き織りはシステムとしては完成されている、先生の一押しのアシュフォードに軍配をあげます。

 買うなら今はアシュフォードに1ポイントつける。本当に買うのか? 本当に買ったらやるのか?

 先生ありがとうございました。機会があればまた教室に通いたいと思います。その時はよろしくお願いします。(たぶん先生はこれを読まないで終わると思うけれど。先生はこのブログを知らないです。)

 原始的な機織り機なだけに、輝きもあるような気もする。原始人になった気分にはなった。

12 Mon うた /11 核心/10/9/8/働・織教室/

12 Mon

 林で歌った。できは30%。飾りじゃないのよ涙は、氷の世界と1回ずつ歌いならした。氷の世界だけあと3回繰り返した。

 氷の世界は戦闘モードでないと歌えない。頑張ろうとしたが調子があまり良くないらしく戦闘できず、チャンバラごっこ くらいの感じになった。力が伝わらない。ギアも入れられない。

 30%だったが、今日はこんなもんだろうと思った。

 だが、帰り道、男で歩こうとし、胸が張れて上を向いて歩いて、えらくまともな歩行だった。歌の帰り道は男っぽく歩くことができた。なんでだろう。勝手に身体が調子が良かった。



ヨシケイ、今週は食彩。前週のプチママは、時間が短く楽で良かったが、食彩は1時間かかった。プチママ自体も30分かかっていた。僕はパッパとできないので、ズルズル料理することになる。

 トマトケチャップベースの味は父の受けが悪かった。そんなことどうでもいい。僕はうまかった。材料をぶち込んでいるし、量もあるし、うまかった。ヨシケイはうまい、材料が多い、満足だ。でも、働いていたらこのペースは困る。面倒に感じると思う。プチママが僕向きかも。

 ヨシケイで、いろいろな材料を使い料理するというのを覚えた。僕の今までの調理は食材の種類が少なく量が多いというものだった。料理とはこういうものかと言うのを感じた。今日は塩味を多くしたので、はっきりしているし、成功は間違いなかった。でも、塩をいろいろ使って健康も気になった。(量をたくさん食べたので)

 来週は休んで自分で調達し作る予定。その次は又、ヨシケイを頼んである。
 ありがたいです。僕にとっては贅沢だ。 





11 Sun

見やすい shaun white

youtu.be


鳥の気分で、一緒に滑っているように感情移入できるロングなカメラ

youtu.be


 リコーダーを吹いた。

kindle ダウンロード

7つの習慣」クイックマスター・シリーズ 第一の習慣:主体性を発揮する 選択する力



電子ブックの81%、「選択」と「結果」の見出し
☆☆引用:「しかし、極論すると、人には結果を選択する自由はありません。」




 と言う一文がある。これものすごく正しく核心を突いていて、重要な言葉だ。

 僕はリコーダーを吹いたけれど、いつも、失敗を一番気にし恐れる。それは間違いだと。僕は間違わないように吹きたいと思い萎縮している。これは、結果が悪いことを先取りし、そうならないように常に身構え恐れるということ。これは、どうにもならない結果を操作しようとする悪い習慣と間違った判断だ。

 男として吹こうとし、指の動きをよくし、きちんと指を押さえて吹こうとすることができる。男として、指の操作、バックミュージックをよく聞きながら吹き、男として音色を味わい、曲調を愛(め)でることができる。しかし、失敗しないようにと言う、自分で結果を変えられないのに、結果を先取りしたり操作する、間違った考えは執着を生み出し、執着ゆえの失敗・無駄なこだわりを生む。

 執着はリコーダー吹きで最も避けるべきものだと感じる。執着すると注意がおろそかになり、ある点ばかり見て、動いていく曲の流れを滞(とどこお)らせる。リコーダーを吹く時は、執着を避け、あらゆることに気づいて、流れを止めないで、気づきながら流れていかないと僕のいつもの癖の失敗を生む。執着から自由でないといけない。男でリコーダーと関わり、四方に注意を向け続ける。流れの中を注意深く泳ぎ、立ち止まったり執着しないで、流していく。今のところそのくらいしかわからない。






追記:
平成30年2月10日 土曜日


北海道新聞:はなし抄:詩人・児童文学作家 藤川幸之助:2010/04/04(日曜日)札幌圏 28ページ


(kurage0147130)の勝手な取捨による引用:


 また、父も一緒です。母が認知症にならなかったら、父は母の手を握ったでしょうか。握らなかったと思います。しっかり握って暮らしていました。認知症になったからこそ、そばに寄り添い、父は母を愛しました。父と母の結び付きを深めることができました。




(kurage0147130):今日の日記に戻って:

 図書館へ行き、藤川幸之助さんの「手をつないで見上げた空は 認知症の母からの贈り物」を借りました。

 この新聞記事が出たころ図書館で「mother」を借りました。どうも居心地が悪く少し見て返した。

 今回借りてみて、この人結構きつい。暴力のような強さがある。だから僕は弾き飛ばされてよめなかった。でも、今回、洗面台まで父の手を引いたり、ベッドまで父の手を握って誘導したりしているので、介護に齧っている。だから世界に入りやすい。でもやはり、詩はドギツイ感じがする。今回は読み切るだろう。僕も当事者になったので。

 この新聞記事のタイトルは「人を支えるということは、人に支えられていること」と言うもので、僕にも父の面倒を見ることで響くものがある。父を支えているつもりで、父に僕は人間をやらせてもらっているのだろう。父との結び付きが昔とは変わった形で現在進行している。


2/10 Sat

 平成30年2月10日 土曜日

・ わろてんか、金曜日の分、見ました。涙を流しながら見た。上質で良かった。
 
 役者の人はなぜあんなに心を表情や身振りで表現できるのか不思議だ。すごいなあと思う。すごさに酔いしれる。

 
・あさNHK第一ラジヲを聞いていて、子育てのお母さんが社会から外れてしまって、旦那子供としか会話しない閉じた生活を送っているので、地域で力になり、お母さんの外へ向かう力を活かそう、と言うような僕の理解だけれど、というのを後押しする団体を作ったとか聞いた。
 わっしょいパートナーシップ

wa-shoi-partnership.amebaownd.com


 
 僕は父の面倒と、入院してしまっている母の面倒を見ていたので(ごく短い期間だったが修羅場になった)、社会から介護で外れてしまうのを身をもって感じている。女性の子育てと、親の介護、違うが立場は近いと感じる。僕は父としか会話していない。外出も少ない。社会と接点がない。
 女性の子育てが地域と接点を持てるなら、親の介護も地域と接点を持てるのではないのか。僕も団体に参加するという手もあるなと気づかされた。

 僕は弱い立場の人が立ち上がるというストーリー設定に弱い。とても感激する。僕もそのストーリーの中で活躍したいと思うし感じる。





平成30年2月9日 金曜日

・ 朝ドラを見ていますが、わろてんか、最近のリリコ&シローの話は面白いです。今朝は見逃しました、どうやって壁を乗り越えるか楽しみです。社長の息子もまんじゅうを作ったりして、皆で壁に向かって毎日やっているという創造的な話が好きです。カーネーションと同じくらい面白い。最初のほうの話は見逃しているのでどうだったかわからないけれど、すごく好きだ。

・ やったことに満足するということは、味わうことだと思う。今のカウンセリングの先生ではなく、学生のころのカウンセリングの先生に手紙をもらった中で味わうように仕事をしてみたらどうですか、みたいな内容をもらった。その時の僕は最低だったので、なんだこんなものと思ったけれど、今の僕は大事なことを言ってもらっていたと感じる。
 男として体験し、その体験を味わっていて、だから満足する、という流れが良いような気がするが成功例がないので何とも言えない。日常生活でそういう例が出てくればいいのだろうけれど。

・ スーパーに行くときに、男として体線を周りに向けたけれど、この男としての体験は、幼稚園以来だから、45年以来だと思う。よいことなのだけれど、時間がたちすぎていて悪い体験のような気もする。素直に喜べない。
 でも、男としての体験が始まった気がする。この辺の展開は大きいことのような気がする、自分内だけのことだけれど。

・ 変な話では、最近自分の屁が臭かった。自分でしておいて、胸いっぱい吸い込んでしまっていた。だから臭いのがよくわかった。これはあまり良くないことなのではないかと思うが。わからない。ぼけています。






2/8 Thu

 身体から外に向かって、体線を出す周りの環境に向けるというのですが、男としてそれをやろうとしました。スーパーにだけ外出しましたが、その時にやってみました。男として体線を外に向ける・気を外に出すというのは成功しそうだと感じました。
 契約書を作っています。すぐできそうですが、父の許可を取るのが面倒そう。今朝の夜中、そのことでごねられた。




2/7 Wed
 今日はメインがありました。
 面談の合間に、ケアマネージャーさんが僕のほうに来て疲れていないか聞きに来ました。僕が下を向いて閉じこもっているのを寝ていると判断されたようでした。僕は、集団の中で自分の居場所がないような気がして下を見て閉じこもったような態度をとりましたがそれを勘違いされたようでした。
 僕は、抑圧的な環境で育ったせいか、伸び伸びとしていません。萎縮して下を向いたような状態です。

 しかし、この間、身体のラインから線を出す。気を出すように、周りに身体からの線を外に向かって向けて出すというのをやり始めました。それを今日のお医者様への診察に出かけた時にやって歩きました。だいぶ姿勢もいいし、外交的になった気分でした。これが定着すれば、外へ向けて僕はだいぶ開かれるものと思われますが、悪い癖を続けたせいで元に戻ってしまうことも多くなることが予想される。なるべく体線を外へ向けて出して、身体から気を出して開かれるようにする癖を身に付けないと、働こうということも長続きしないことが予想されます。案外ここが橋頭堡かもしれない。ここをクリアすると割と生活は回るかもしれない。

☆☆ 身体から体線を外に向かって出して歩いた時は、気持ちよかったです。




追追記:父も僕もこのプログラムで動けるのか。全うできるのか。ちょっと不安がよぎる。無理があるなあと思ったら、誰かに相談することを考えたほうがいいかもしれない。始めから予防線を作っておいたほうがよさそうな気がする。自律計画支援の方や(僕)、ケアマネージャー様(父)とかに、愚痴を言うことを最初から計画しておいて、水が決壊しないようにしておいたほうがいいなあ。


追記:ケアマネージャー様+お医者様

 ケアマネージャー様、役所の職員の方に来て頂いて、父の調子を判定してもらった。結果は郵送で送られてくるらしい。2級から3級へを申請している。

 そして、ヘルパー様とデイサービス様の長の方に来て頂いて契約書を頂いた。ケアマネージャー様の話によると契約をすると僕はいつからでも働けるそうだ。汚い部屋を見られてしまった。

 また、僕の通院日でお医者様の診察を受けた。お医者様は、僕が無理をすることを心配しておられた。僕の病気は無理が一番いけないので、やることを後ろにずらしてでも無理をしないようにしたほうがいいと指導して頂いた。

 僕は様々な方に支えられて働ける運びとなった。2月から5月は去年は調子が悪かった。今年はどうか。一抹の不安はある。追い込まないでゆるく働けると一番いいのだろうけれど。

 部屋が汚いので、掃除を進め、契約書を取りに来て頂いて、職安に行くことになる。働かないのも恐いが、働くのも恐い。両方とも長所と短所を持っている。僕が働いても金銭的にはほとんどメリットはないが(支出も多くなるから)、活動してお金を使うのはいいことだろう。父に負担がかかるのも不安がある。とりあえず進めるしかなくなった。

 変なブログでこの人どうなるのだろうと思われた方、ここまで漕ぎつけました。ありがとうございます。自分に自信はないけれど、何とか進めたい。<追記終わり>




平成30年2月7日 水曜日


 昨日の帰り道で調子が悪かったのだと思いました。

 昨日は織り教室に出かけました。今度いつ行けるかわからないので作りかけを撤収しなければならなかった。行きたいのに行けなくなるというのは淋しく後ろ向きで小さくなることだった。織り自体は久しぶりと言う事もあり、ミスが目立った。目を飛ばして織っていて、だいぶ進んでから気づくという何とも間抜けていた。ランチョンマットも完成できなかった。途中で捨て織りした。

 先生は親切な方で、アシュフォードの織り機を買う前に試させてくれるという。先生が自宅に保管しているものを教室も持ってきていただいて、僕に試させてくれるという。これ以上ない申し出だった。ありがとうございます。


 先生にインターネットで指導してもらうというのは、僕がアップして先生がメールで返事するというのなら受けてもらえそうだった。

 でも、僕との関係は昨日で切れてしまった。最後の受講だった。(アシュフォードの練習をさせてもらうため伺うと思うが)

 とても悲しかった。帰りの交通機関でも萎んでいた。まあ、調子が悪い日だったので、調子の悪さがメインとして自分にかかっていたけれど。



 アシュフォードの通信教育はないので、やはり先生に指導してもらいたい。料金をお支払いして、動画を見てもらって、メールをもらうというやり方。

 本当のところ、切れているのに織りを続ける自信はない。なんか、正念場になってきた。逃げてしまうのか、きちんとできるのか。今までの僕は逃げてきている。今回も試される。