追記:19 Tue /18 /父母 自立50歳

 追  記  


9/19 Tue


コーチングの基本 

交通機関で読んでいて、p48からの コーチがもつべき3つの視点 で Possession・身につけるもの、Behavior・行動、Presence・考え方 信念  というのが出てきて、目標達成のためのキーワードとして取り組む。これらに分解することで、自分の行動を変える視点を見つけることができるようになるらしい、と理解した。


 僕は、一度にたくさんやろうとして挫折するパターンがある。リコーダーでも本のまとめでも。
 

 それで、リコーダーもコンパクトにし、裂き織りの読書もとりあえず1ページ読めばいいと。たくさんやってもやらない期間が多いのはマイナスだ。たくさんやろうとするのは重荷と感じられるし、やり始める時に嫌気がさしてくる。だから一度にやる量を減らし、一日にやる量を30分とか15分とかの小さい単位として毎日積み重ねられるようにしたい。


 前もやっていたけれど、立ち消えになっていた。また今回新たにやり始めた。


 

・公園でゆっくり歩くをやるのは、日曜日に、自転車でゆっくり漕いで身体全体で漕ごうとするのを取り入れ、身体全体でゆっくり歩くをしよう、身体全体で歩くを表現しようみたいにやりできていた。


 それと比べると今日はちょっと鈍(にぶ)かった。何とかやろうとしたがパッとしなかった。 






9/19(Tue)

 昨日は台風を理由に作業所を休んだ。当然今日は風当たりがちょっと冷たかった。

・ 着物の糸除去、紺地のレースに黒・紺糸の縫い、終わった。LEDルーペで取っていった。端をちょっとしくじった場所は何カ所かあるけれど合格点だろうと思う。ひどく難しい部類には入らないと思う。
 
 道行コートのミシン縫い薄手が今までで最も難しかった。気持ちが萎えて、奮(ふる)い立たせてやって何とかだった。気持ちとしては逃げたかったやつだった。



・ 過去の席替えをきちんと調べておいたけれど、僕の席がなくなったのは、2017 2/18(Sat) 以降で、2017 5/20(Sat)までなく、移民や難民のように毎日席を移動して歩いた。3か月間が首が下がり、調子も悪く、立場も悪かった。デッド期間だったと言えると思う。

 もちろん調べたのは、今度やってくるのはいつか前もってわかっている必要があったから。カウンセリングでも低調で進み、先生から軽くみられると思う。

 こういうのは逃げ道がない。受け取るしかない。そういうことになっている。また今度やってくる。来年の2月から5月。作業所を続けられるといいけれど。ミスも多く、集中できず、手も萎え、気持ちも低い、そういう日が来る。



平成29年9月18日 月曜日


 昨日の作業所は、ゴミ袋がないのではじめてのお使いに出かけた。僕ちゃん買い物いくでちゅー、ピューッ。


 ゴミ袋では抽選できないはずだけれど、レジの人がさせてくれてキレートレモンを当てた。列の前の人はビールを当てていた。ボスにジャンケンであげてくれというと僕がもらえという。それで、テーラーSG氏にあげようと思うが、テーラー氏はコーヒーは好きでも酸っぱいのはダメだと思う、他の人にあげてもいいですけどと言って渡そうと思う。


 掃除機をかけたのだけれど、前に、通路だけで日曜はいいと言われたので昨日も通路だけかけた。そしたらここも掃除機してとスタッフに指定を受けた。僕は手を抜いたのだけれど、仕事はやはり全力投球しないといけないらしい。今度からは仕事は手を抜かないに変えたい。ボランティアでもスタッフに睨まれているし、仕事は全力投球・手を抜かないに変えないとマズソウダ。







9/18 Mon

網代(あじろ)織りのマフラー端を結びました。織り教室の展示会で6300円くらいで売りたいです。ちょっと短め、だった。
紺と茶のウール。細身で幅14センチ。

長いのも作って(中身1m50、全部で1m70)いて、そちらを売って短いのを残すかも。両方売ってもいいや。

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平成29年9月16日 土曜日



(下のほうに言いたいこと、☆☆あり)




 今日帰ってきてから、日ハムを見てダラダラした。夜も一段落しコンサドーレを見てダラダラした。
 裂き織りの本を読んでいない。

 これらを思った。無駄が多い。やらないことも多い。
 そして、


コーチングの基本、鈴木義幸、日本実業出版社、2009


を読み始めた。クライアントと対話することで、クライアントの目標達成を支援する、クライアントに問題解決してもらう、というようなものだと理解した。カウンセリングと似ていると感じた。



 読みながら、精神科のお医者さんに、僕が他の人が怖いとか書いて、それへの対処だと思うけれど、

「自分が感じている、考えている、思っているという感覚を大事にして、自分が思うこととすることで自我の境界を明確にすることは必要だろう」

というような趣旨のことをおっしゃった。僕が自他の境界があいまいで、ほかの人を脅威に感じたり、ほかの人の影響をもろに受けるのでアドヴァイスしてくれたのだと思う。


 そのようなことを思っていたら、前回のカウンセリングで僕が女性にエネルギーがまっすぐ向かわず折れている、という発言をし、それを含めて僕は父母からロックをかけられているという内容になった。そのロックは性の問題とも密接だとなった。ロックは自分で向き合えば外せそうだと。





 そんなことを思っていて、


☆☆ 僕は、自分で意思決定できる。自分で行動を決めたり、どう感じたり、どう考えたり、自分の側に決定権がある、と考えると父母から独立し問題解決が図られそうだと予感がする。


 僕は何もかも父母に譲って明け渡しし過ぎていると思う。過干渉を受け、土足で踏み込まれすぎていると思う。そうやって過ごしてきた家で、父母の管理下の下で過ごすので、いまだに自分のものを父母に捨てたままだったのだと思う。これは明らかにいけない。取り戻す必要はある。コーチングの本が触媒となり思いついた。

テレビをつけていたのは母だぞ。怪しい。母の呪縛が大きそう。僕はいまだに赤ちゃんだ。(50歳)

雑記

・ 迷惑メールの話です。
 
 クロネコヤマトの偽メールは見破れました。

 しかし、appleは、騙されていました。
 最近使っていないので、ロックするとか、第3者が使っているとか言われても、関わろうとしませんでしたが、てっきり本物だと思っていました。

 そして昨日、メールアドレスを見たら、グチャグチャで怪しいと思った。今日のメールでも、昨日と違うアドレスで偽物と今日見破った。危なく引っかかるところだった。たまたま使っていなくて、関係ないやと距離を置いていたからひかっからなかった。


 メールはアドレスを確認して、メールアドレスをウェブでチェックしないと信用できないことを今日学習した。僕もお利口さんの仲間入りができました。





・ 織り教室に出かけました。親切にしていただきました。
 裂き織りを作る、さをり織りのマシーンを使わせていただけることになりました。買おうと思っていましたが、試せます。

 このマシーン、評判悪いみたいです。一人は売りたい人で、もう一人はちょっとやってみて・いいやとなったと聞きました。先生のニュアンスもマイナスの気配でした。買おうとしなくて良かった。やはり何事も金をかけずに始めるのが正解で、評判を調べてみないとだめだと思った。今日は直接使ったことのある先生の意見を聞くことができてよかったです。

 僕は、鋏で切ってランチョンマット用に作ってました。なぜか器用らしいというニュアンスで教室の皆さんは受け取っていました。僕は洋裁の鋏の練習だと思って一生懸命真っ直ぐにしようと、曲がりくねりながらの裁ちをして苦戦してきました。実際鋏の練習になりました。





・ さっぽろオータムフェストに出かけようと思っていたら、先生たちの評判は悪かった。でも寄ってみたら、土日はものすごい人出で並ぶのは当たり前。並ぶ気はないので帰ってきた。地元の店で手巻きツナきゅうり巻を買って昼食とした。




・ 織り教室の先輩に料理はするのかと聞かれ、最近は忙しいのにかまけてしない、カレーは作れる、ジャワカレー、豚肉、ルーは今は一種類、のように答えていった。

 それで、カレーを作ることにした。作った。辛かった。クミンかガラムマサラが辛かったらしい。特定できず。

 作業所の昼食に、ちょくちょくカレーは出るので新鮮さはなかった。僕は今は作業所の辛いカレーの反対の甘いカレーが食べたいと思った。母にバーモントにしようかなあ、と言うと反対された。





 今日はなぜだか調子が良かった。僕の意志や気分とは無関係。自分では調子はコントロールできない。調子には常に受け身で向き合ってきた。調子に翻弄されるのが僕の生活だった。だから今日のような日はありがたいです。


・ 裂き織りは、切っていった分がちょうどドンピシャリで、ほとんど余らなかった。神業のようだった。
  40センチのランチョンマット2枚ができました。樟脳(しょうのう)の匂いがするので、先生の教えの通り洗濯します。



・  本も、最後の絞りを終えた。28点くらい売ることにした。ちょうどいい量が残った。

〇 人生がときめく片づけの魔法、近藤麻理恵 大先生の教えに従って平伏した。(ひれふした)
  
 本の中身は、必要ない著者の体験と、大事な情報が混ぜ混ぜで、付き合うのは面倒だけれど吸収させていただいている。勉強になります。このノウハウを作るのは著者の観察眼の鋭さと、片付けのプロとなる素養のなせる技だと思う。そこは素直に感心しました。

先生に一生ついていきまチュー ブチュ♡  気持ち悪い終わり方で今日も締めさせていただきました。

追記 plus 逆転のおもしろさ+薄々思った(仕事というもの)

 今日のことを振り返り思ったけれど、僕などの他人はその人のことをこういう人だと役割・自我の同一性を押し付けるけれど、相手は常に流動する自我の持ち主で固定などされていない。こういう人だと見るのが傲慢らしい。

 僕自身も流動している。人は常に変わり続け同じところにとどまっている人はいない、というのが正解に近い気がした。



☆ もっと言えば、僕はその人のことをこうだと、自分の考えを押し付けている。僕が厭らしい。相手は、当人の都合と変化と要求で動いている。僕のことなど知ったことではない。相手と真摯に向き合うべきなのかも。その時の相手と真剣勝負で(本当に刀を持つ相手と向き合うくらい真剣に向き合うべきだという意味)。

 全部自分に当てはめれば、僕は自分を固定してみるけれど、流動の中を生きている。それが正しそうで、止まって変化がなさそうでも動いている。皆、その時その時の一発勝負を真剣に生きているかもしれない。(わかったようなことを書いているが、よくわかっていない)

☆ 全力をぶつける必要性、テーラーSG氏の仕事ぶりのように、があるのかも。






平成29年9月14日 木曜日



・ 今日は作業していて、テーラーSG氏が缶コーヒーをひっかけて倒し床にぶちまけた。その飛沫が僕のジーンズとスリッパにチビッとかかった。テーラー氏は拭き取るのに夢中で僕のことなど眼中になかったと思うけれど、この件では立場が入れ替わっていた。

☆☆迷惑をかけるひどい奴の僕と荷重の仕事を背負わされたテーラー氏の立場が逆になった。

 人間の立場など簡単に入れ替わるのを覗いた気がしてちょっと面白いと思った。




 作業自体は普通にはできた。走っていなかったと思うけれど、ルーペを使い、黒糸、紺生地の夏の薄物羽織のロックミシンの糸を少しずつ取り除いていった。(やりづらかったというのが言いたいことです。ルーペでないと生地と切断する糸の見分けがつかない。生地自体が糸をよってレースのようになったものでやりづらい。)


 裂き織りの緯糸(よこいと)作りも、ボスから渡された立派な生地を鋏で切りながら作っていった。鋏の扱いが下手でゆっくりになっていた。

 皿洗いはやってくれる方がいてお願いした。




・ 明日は容器・プラ ゴミの日なのだけれど集めていて、これもいいですかと普通ゴミを渡そうとした人がいた。僕は容器・プラゴミなのですけれどと断った。

 これが引っ掛かって、しばらくしてから回収しに行った。そしたら底にちょこっとで集めるほどでもなかった。その方も気を利かして協力してくれようとしたのだと思う。僕はたまってたら悪いなと気を利かせてつもり。

 できれば、普通ゴミを渡されたら、ありがとうございます、後で持っていきますと預かって、捨てて持っていけばよかった。それだと完璧な仕事。


☆☆ 仕事というのは需要を満たす役割を担っていて、ゴミ捨てだとかそうでないとか、貴賤(きせん)は関係ないなと思った。(よく言われるが)



 だから、要望があったら満たしてやればいいのだ。それを担(にな)うのが仕事らしいと薄々思った。(完全には理解していない) 僕も少しずつ勉強しないといけないな。

逃げ腰+カウンセリング

平成29年9月13日



 最近、格好の良いことを書いていますが、本当のところはこうでした。


 今日は休みで動物愛護団体のボランティアに出かけた。昨日戦意をなくし作業所から帰ったので、明日への布石にしようと思った。



 モップをかけていて、ボランティアの人の面接があった。その人が席を占領していてモップをかけられない場所になっていた。そこは置いておいて別のことをしていた。そして、一段落ついたので休んでいて、水を捨ててもいいよと言われた。僕はその通りに捨て、作業を残したまま終えた。そして、窓を拭きながら猫と戯れていた。権利とばかりに。


 僕は業務を遂行しないという結果のまま帰ってしまった。帰り際、スタッフが不満そうだった。

 カウンセリングの先生にそのことを話すと、そりゃそうでしょうよ、みたいに言われた。僕は、この件が水を捨てる時から引っかかっていた。

 まだ終えていないのですが、水を捨てて終えてしまっていいのですかと確認を取るのが筋だった。もしくは、お客さんが帰るまで待って、モップを終えてから帰ればよかった。それが正しい。僕は腰が引けて、昨日からの逃げ腰を引きずり、甘えていたといえる。負けたままゲームを終わらせていた。僕は敗者だ。






 カウンセリングでは、ペニスの機能不全について、前回に続いてEMDRしてもらった。

 僕は、男としてエネルギーがストレートに女性に向かわないということになっている。高校生だった頃の、バスから手を振ってくれた好きだった娘(こ)に手を振りかえせなかった構図。作業所の若い女性に固執するねじ曲がりの構図。



 これらは、父から抑圧的というか、上からの力で抑え込まれ、女性に興味を示すことを抑制され、そういう雰囲気で育ち、実際に深夜放送の助平番組を見ていて手をあげられたりとか、被抑圧者として存在していると思う。




 父自身を見ていて、父自身が祖父から傷つけられたと思う。だから、憎しみと怒りしか表現方法がないのだと思う。とても受身的で、被害者という立場をとることが多い。僕にとっては抑圧者だが、父が成長の過程で傷を負い、それの解決方法がないまま、その傷と向き合わず越えることがないまま、全く身動きのきかないまま一生を終えるさびしい存在として、成長を知らないままで朽ちる。




 今は父の小さい面にも目が行くようにもなった。僕は父からかけられたロックを外すことはできる。僕自身が昨日のブログのようにママチャリで凸凹道を走りに出かけたり、携行ストーブで茶を沸かして飲んだり、もしくはオータムフェスタで買い食いしたり(うちの家族は内食ばかりで外食に行かない。買い食いしない。人生の楽しみを知らない、幽閉のような生活を送っている)できる。これらはロックに挑戦することで、自分で外せる。



 ちょっと前に思ったけれど、宮沢りえの写真集を買うというのも、自分のロックに挑戦しているといえると思う。小さい一歩ですが。






 実際に今日やったことは、本の整理。150冊くらい処分することにした。仕分けた。全部で半分くらいになった。

・人生がときめく片づけの魔法、近藤麻理恵サンマーク出版 の影響。単純です。


 本は完全に仕分けたわけではなく、不純物も混ざっている。まだ絞れるけれど、絞らない。未練がある。この辺が良くないところだとわかっているけれど、今は絞らない。ほとんどがときめく本になったとは思うけれど。
 読まないだろう本は置いていないと思う。興味のあるのを残した。愛のあるのを。




 父からかけられた呪いのロックは自分で少しずつ外せると思っている。そのためには行動に移さないとだめだ。この辺は厳しいことになっている。なにもしないと、ロックをかけられたまま、身動きが利かないと不平不満を思うことになる。甘くはないです。

 今日はカウンセリングの先生を見ていて、EMDRを受けながら、先生は心理療法家だなあと感じた。プロの顔を読み取っていた。こういうときは、先生に暗い感じだね、みたいに言われても、実際そうだったけれど、調子がいいと思う。ある意味で。(どんな意味か分からんが、どっかの部分は明るくなっている)

正しい方法はいらない。硬直している。

追記:

id:lcorocoro

さんへ


余計なおせっかいをしますが、カウンセリングのEMDRというトラウマ治療法があります。僕は受けています。ご存じだったらいらない情報になります。




12 Tue

 英単語を覚えようとするとき、正しい方法で、正しく覚えなければならないという先入観がある。

 Shark サメ  サメの絵と結び付け、正しい綴りで、正しく覚えようとする。これが僕の英語。


 四角四面で堅苦しくないか。サメの覚え方に正解はあるか? 僕が間違った覚え方だというのでもよいのではないのか。映画ジョーズに出てくる生き物だとか、海をうろつくギャングがサメだとか、人を襲うやつだとか、僕の知らない面のサメで・調べて変な部分で覚えようとするとか。

 例えば、サメの屁は臭い、という記述があったら、それでサメを覚えようとするとか。うんこドリルと同じ手法かもしれないなあ。


 正しい方法や、正しいやり方、こうでなければならない方法、理解の正しい道筋、そんなものあるのか。自分の感覚を信じ、自分のやり方を見つけようとし、自分の道筋での理解や記憶でもいいのではないのか。記憶術、理解の仕方、でなくていいのではないのか。

 間違っていてもそれはそれでいいのではないのか。自分のやり方で取り組んだのなら。自分で取り組むそこに、取り組む意義があるのではないのか。正しいや、正しい道筋はいらないのではないのか。


 サメを覚えるのに、泳ぎ方や、獲物の襲い方と結び付けて、サメを覚えてもいいと思う。柔軟にサメの先祖の話や、サメの天敵でもいい。自由というのか、やはり自分の取り組み方、手法が大事ではないのか。単語を覚えなければならぬ、熟語だ、文法だ、会話だという、堅苦しいお上のお達しに従うのではなく、上からの教えではなく、サメの求婚だとか、死に方、出産でもいい。


 正しい覚え方ではなく、自分の取り組みの、自分のための勉強であっていい。そうしたいなあ。正しい、はいらないにしたいなあ。僕の生活すべてに、自分のやり方を導入できたらなあ。そしたらバラ色だあ。♡   僕は気色悪いぞお。


 マウンテンバイクを買う、買わないという発想ではなく、どうやれば自転車と新しいかかわり方ができるとか。今のママチャリの活用法を探るとか、後ろ向きに自転車をこぐ装置をつくるみたいな、別のスタンスがいい。休み日は、30分時間をつくって、登山靴はいて凸凹道を探る旅に出るとか。外でお茶を沸かして飲むとか(バーナーは持っている。)


これらは、

・人生がときめく片づけの魔法、近藤麻理恵サンマーク出版


 のときめく生活からの影響大で書かれたと思う。僕は生活をグレーに染め上げ、グレーの死んだような生活にどっぶり浸かってきた。もう卒業だあ。そんなのいらないやあ。ときめく生活を送らないと、何のために生きているんだあ。感化されすぎか? 明るい生活にしようじゃあないか。


  

12 T

・よくわかるギャンブル障害

www.seiwa-pb.co.jp


・使いこなすACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)

www.seiwa-pb.co.jp





カウンセラーの先生への文章:



平成29年9月12日(火)

 8日の調子が悪く、作業所でとても立場が悪かった。帰りもつらかった。

 12日の今日、皿洗いをしていて突然失調。調子が悪くなる。8日の人は違う調子の悪さだった。皿洗いを終え、着物の糸ほどき、絽の着物を終えた、薄くて細心の注意でやってきたのが終わった、それをもって帰ることにした。2時上がり。本当の拘束は3時まで。戦意がありませんでした。次の着物、道行コート?? みたいなの(まだよく見ていない)をやる気力が起きないので帰ってきた。パフォーマンスも落ちていた。


9月6日(水)ブログより
昨日の朝は、カマを掘られそうになる夢を見て、今朝は女を抱く夢を見ました。

・ アレクサンダー・テクニーク入門、サラ・バーカー、ビイング・ネット・プレス(BNP
 を読み出しました。掲載の悪い例の写真が僕の姿勢にそっくりでした。読み始めました。




9月12日(火曜)

現在読んでいるのは、ベストセラー

・人生がときめく片づけの魔法、近藤麻理恵サンマーク出版

 脱線と面倒な説明が多いけれど、とても楽しく読んでいます。CD20枚捨てました。




 朝のゆっくり歩くは(作業所に行く前に  公園でやっています・真っ直ぐ一本道をゆっくり歩くイメージです)、奇跡のレッスン・陸上 で覚えた、つま先着地を導入してから、体重が前に乗るようになりました。かかと着地だと重心が後ろにかかりっぱなしで腰も引けたような状態で歩くことになってしまっていました。



 Sonic youth の反社会的、アンダーグラウンドの音作りが面白いなと思っています。こういう音楽を歌ってみたいとも思います。今は歌えないと思いますが。


 前の作業所の社長に手紙を書き、  さんのトラウマに     はどうかと連絡を取ってみました。  さんから連絡はあったでしょうか。返信不要の手紙を書いたので、その後は一切わかっていません。

・  先生 に先週の続き、ペニスの機能不全をやって頂きたいです。

本題:若い女の尻を追い掛け回す僕(50歳)を皆は嫌いか?

平成29年9月11日



 朝の交通機関で思った。


 人のことを、あの人はあんなことをしてなんてひどい人だろう。ろくでなしに違いないと。

 この話には自分のことも被(かぶ)さってくる。僕は若い女のことが好きだとのたまった。若い女の尻を追い掛け回したいと。確かに本心だ。これを読んで人は、馬鹿な奴だ。俺とは違う。なんて変な人でしょう。気持ち悪い。とか思ったと思う。





 ここで分析を思いついた。

 人は他者のことは外部なので、いかようにも批判できる。馬鹿だ、ひどい、最低、あんな人。

 その批判される人は、内部のことなので、当事者でもあり、必然性の中を生きている。


 若い女の尻を追いかける僕は、性欲の虜(とりこ)になり、こんなことを書いた。最低なのはわかっている。でも、性欲をどう処理すればいいかわからず、若い女の尻を追いかける以外方法がなかった。代替法無しのやむを得ず、というところだった。そして、僕は心の中で、性を抑圧していて、ストレートに女に性が向かわないという欠点がある。若い時に女と付き合い、行為をたくさんするという経験の欠如もある。石鹸天国で4回くらいしか経験がない。(笑うか)

 この内面のゴチャゴチャが若い女のケツを追い掛け回すという心情になった。僕にとっては必然だった。他者にとっては見苦しく、馬鹿で、最低だろう。当人の内面は必然性で動いている。



 繰り返しになるが、そして、他者の行為は傍観者にとって、外部になっている。自分と切り離していかようにも料理が可能な状態だ。







 これらが捉える射程は、他者批判はあまり価値がない。自分と切り離した時点で価値は低い。価値を高めるとしたら、やはり、当人の視点を導入することを通して理解することだ。



 批判される側の人間にとって、当の批判材料は全部、内的必然性で出来上がっている。葛藤も矛盾も、自己否定的内容も含んでゴチャゴチャになって、槍玉(やりだま)の、ターゲットの行為になっている。批判される当人は、行為をやむを得ず行ったり、正当化したり、矛盾の露呈として行っているかもしれない。

 当人にとって、被・批判行為は、他者とのすり替え(あいつのせいでこんなことをした)であったりしても、内部の回路を使って・内的必然性にのっとって行った、当事者にとってその時点での正しい行為だと思う。この正しいは、倫理的、社会的、正当化という意味ではなく、内的に組みあがった当人のためのその時の行為だ。後日他者批判を受けることになるとしても。




 もっともらしい口調と単語で作ったので、それらしいけれど、そんなに格調高くしようとしたのではない。ただ、こういうことを交通機関で思いついて、ここでワープロに起こして打ち込んだだけです。




・ これを打ち込んでいる間、かけていたのはyoutubesonic youth の曲。この人たちのことをあまり知らないで好きだとか思っていたけれど、アルバムを通して聴いてみると、かなり反社会的、アンダーグラウンド、負のエネルギーに満ちている音楽だ。
こういう音楽は、社会的に正当な行為を行っている、その正当さの裏返しとしての、使われない反社会的なエネルギーの表出、代替として必要とされるものだと思う。僕にとってはそういう自分の内部の部分を使って聞いている。僕の全部が反社会的とはならない。
 ここを読んで、なんだと思われる方もいるでしょう。僕にはそのくらいしか踏み込めない。

10 S /8/診察:

9/10 S

 ・人生がときめく片づけの魔法、近藤麻理恵サンマーク出版

 これ読んでると頭悪そうだけれど、僕に必要だ。

 どういう生活を望んでいるか、なぜ、を繰り返す。そこのところのノウハウの記述が薄い。一番肝心なところ。とりあえず、焼いたものがほとんどだけれどCDを20枚くらい捨てた。

 僕は仕事に全力をかける生活を望むようになった。失敗もこれ以上できない。すべて賭けないと潰れるだろう。崖っぷちにいると思う。

 本は今のところいい感触。いらない記述と説明は最初のところ特に多かった。第2章からエンジンがっかかった。


・ 明日からテーラーSG氏も仕事に来るので、気を引き締めたい。たくさん寝るのも仕事のパフォーマンスを上げたいためです。心療内科の先生にも睡眠は大事で、多くとったほうがいいとはこの間の診察でアドヴァイスされた。



(イメージ)

 空を飛んだら、翼がもげて地面に叩き付けられた。出血もしたし、肘をくじいたけれど起き上がり、また飛ぼうと試みた。もう俺は飛べない身体になったか。こうなったら這って進もう。地面に転がる馬糞まみれになろうとも、小便を奴らにかけられようと、這って目的の地まで行くのだ。

 涙が出る。惨めだ。吐き気も催すようだ、だけれど吐いてなどいられるか。うう、惨めだ。だが、一つの道を選んだのだ。目的地に必ず向かうという、終点が設定された。俺は行かなければならない。身体が重く、バラバラで、引きずって、血を流し、むごたらしい姿を曝(さら)け出し、手で身体を引っ張り上げる。いかなければならぬ。ああ、俺は惨めだ。自分で選んだ道だ。ううぅ。



9/8(Fri)

 調子が悪かった。作業所の手芸の先生に、敷物5枚・小さいのを織ったのを手をかけてもらった。そんなに悪くなかったと思う。

 問題は、この間つくった裂き織りの最初の部分。最初、織るとき、一本ずつ切り離して差し込んでいた。これが大失敗。この失敗でテーラーSG氏という先輩を怒らせてしまった。先輩は僕の裂き織りでバッグを縫う人。

 ばらばらになる裂き織りを接着芯で固定し、複雑な工程でバッグにしなければならない羽目になった。先輩にかかる迷惑は甚大で、僕はすっかり目の敵になったと思う。僕は失敗し、先輩に背負わせてしまった。

 今回の失敗でよくわかったけれど、織りは、交互に糸を絡ませ、2段目は逆の交互にして布地を強くし、端はつなげて折り返すことで結束力を作って織物になるらしい。そういう基本的なことをわかっていなかった。頭を全然使っていない証拠。






9/6(Wed)

 昨日作業所で、棚卸のパソコン作業をするのが面倒で嫌だった。皿洗いもカレーで面倒臭いで嫌だった。

 こういう態度はまずいと思った。消極的で。それで、皿洗いの今やっていることに全力をかけようと思った。嫌だったのは、全体を見て、全体をやり抜かなければならないと、自分に変なプレシャーをかけ、重荷を背負わせたから。だから、今やる小さなことだけ考え、見ようとした。

 森田療法と同じアプローチと考え方。




・ 今日はお休みで、診察に出かけた。心療内科

 先生は僕のことを図に描いて懇切丁寧に教えてくれた。自我の境界がスカスカで他者の行動、考え、いろいろが入ってきてしまう。対策として、自分はこう考える、こう感じる、どうしたい、と自分の部分をしっかり持つようにするといいと助言を頂いた。


 自我境界の認識。そして思考があちこち飛び回るのは、統合失調症によくある思考奔走(ほんそう)だと言われた。



 僕のことを7月くらいから心配していると仰られたので、6月くらいから調子が悪いと言った。

 これからどうなるかわからないので、先生の貴重な意見を頂き、日々に活かしていこうと思った。時間を割いて頂いた。他の患者さんには待って頂いた。



★ そういえば、診察に出かける前の地元で、交差点の安全地帯で車を待っていたら、帽子の上に鳥の糞が落下され、撃沈された。命中だった。あまりにありがたいので、渡り切って帽子を脱いでティッシュで拭(ぬぐ)った。スーパーのトイレで洗った。






先生へ提出の日記参考までに



8/1 Tue ブログより

僕は意識が今まであちこちに飛んでいた。すぐに移り変わって集中できない。次から次へと意識は動きひとつにとどまらない。世間でいうところのダメな奴でバカだ。

・でも今回頭を使い、どうやるかに集中しながらどう進めるか考えながらやってみて、仕事の進め方を考えながらやるのが仕事なのだろうと、薄ぼんやりの頭で思った。判断し、見て、動かし、どう進めるか考えながらやるのが仕事で、没頭するのが仕事らしいと今日は思えた。

☆☆ 皿洗いでは仕事ができていた。全(まった)き者として、僕は皿を洗って存在していた。


8/6(Wed)
 今朝草取りに起きて、頭が少し痛かったです。たぶん抑圧の傷だと思います。

 お腹にもかなりの張りがあります。こちらは、半年以上継続していますが、今が最大です。

 作業所、織り教室(月4)、猫ボランティア(月2)、カウンセリング(隔週・月2くらい)に通っています。
 



 作業所では女性が気になるというのが最大の問題です。

 昨日の朝は、カマを掘られそうになる夢を見て、今朝は女を抱く夢を見ました。

 カウンセリングでも、ペニスが機能不全((体液の出るときと、出ないとき(首が潰れているとき)がある。そのことではなくて、抑圧しているので、ペニスが自分の持ち物として備わっている感覚がないです))のことについて、やってもらっています。

 朝、作業所行く前の公園でゆっくり歩く(マインドフルネス・太極拳みたなようなつもり)をやっています。その時、ペニスが自分のものになっていないので、軸がぶれて、足も踏みしめられなくてナヨナヨ歩いている気がします。




 作業所で女性が気になるのは、若い女性です。昨日は周りの人が肉感的に感じられました。(存在している感じがした。いつもは頭の中の他者だった気がします。)

 周りの人の存在がハッキリすると、存在自体が怖い気もします。存在ゆえの迫力のような。



・ オネアミスの翼山賀博之)Blue-ray見ました。CDもレンタルました。王立宇宙軍軍歌を力いっぱいCDに合わせて歌いました。




・ アレクサンダー・テクニーク入門、サラ・バーカー、ビイング・ネット・プレス(BNP
 を読み出しました。掲載の悪い例の写真が僕の姿勢にそっくりでした。

雑記(本:あり)

(AM5:30)

 夢で、Windowsを7.9にアップグレードしたら、悪魔がやってきて変な本とかビラをおいて行った。どうもやってはいけないことをしたらしくて、それらは気持ちが悪い。厭らしいものだった。だからwindowsをもとの7に戻そうと考えているところで目が覚めた。







夢を見た。女を抱く夢を20年ぶりくらいに見た。とても幸せだった。半分起きていて、半分寝ている状態だった。リアルな夢だった。こういう夢なら大歓迎だけれど。肉感的だった。(AM1:41)





b

・ 昨日夢を見た。正確には今朝。男どもで車とかバイクとかで移動していた。そのうち僕が別の男たちに車で連れ去られ(仲間の男どもはどっかに行ってしまった)、部屋でカマ掘り大会が行われた。みんなやっていたが、僕は嫌だと言った。そこのところで目が覚めた。

 よくある調子が悪い時の夢だった。夢の中とはいえ、カマを掘られなかったのはよかった。





アレクサンダー・テクニーク入門(実践講座7)、サラ・バーカー、ビイング・ネット・プレス(BNP)



 読みだした。よさそうなホンダ(本だ)のバイク。使われている写真が、僕の姿勢の悪い格好にそっくりで、僕のために書かれた本ではないのではないかと疑うくらいだ。(僕は首が潰れているというくらいのもので、姿勢が極端に悪い)

 読んでみて、ちょっと齧った程度だけれど、無理に兵隊のようによい姿勢をとるのではなく、基本の動きで体を操作するコツをつかんで、それを自分の各姿勢に使っていくらしい。自分の使い方を変えるとか。

 アレクサンダー氏が、舞台俳優(?)だったか朗読家で、声が舞台上で出なくなって、苦節10年、自分の姿勢を・動きを研究し、肩の首の後ろの微妙な動きの後、声が出なくなる一連の動きをすることを突き止めたらしい。そのノウハウを皆に伝授するのがアレクサンダー・テクニークなのだった(偉そうに書きました。そうしたほうが面白そうでした。真摯で研究熱心、誠実な方だったのでしょう。)。


 僕の姿勢に関する気持ちは、自分の姿勢の悪いのは分かっている、それを直そうとして、変に硬直した姿勢を取りたくない。自然にいい姿勢になりたい。変に自分を偽るように、変えましたとはしたくない。
 うまく柔らかく、表面上ではなく、芯から姿勢の正しいのを導きたい、という思いがあった。これにアレクサンダー・テクニークは応えてくれそうに思える。フェルデン・クライスを買ってしまったので、こちらに進むのが遅くなった。

 僕は極端に姿勢が悪いけれど、そんなに重要視していない。他人は表面を見るだろうけれど。ぼくはこの方の趣旨のように、肉体と心が一つで、姿勢が悪いのも心の表れと密接だ(そういったかどうか怪しいが?)みたいな、姿勢を治すことの重要さに、共感を覚えた。

 部屋が汚いのも、僕の姿勢や心と密接だろうし、姿勢を治せば心も変わるのかもしれない。すごく影響を受けそうな本だ。でも、読み終わるのはすごく時間がかかりそう。




・本小さな習慣、スティーヴン・ガイズ



 こちらはメールマガジンで教えてもらった本。僕の基本スタンスに合うので、読んでみたい。でも、後回しになる。優先順位が巡ってこない。でも、重要でないわけではない。でしょう。教えてもらいたい。

www.e-hon.ne.jp



(〇×△)・ 自分の助平な気持ちが止まらない。僕は根っからの助平だ。女の子とどうにかなりたい。50爺だけれど、助平心に偽りはない。助平なことがしたい。下品で猥雑だけれど、心根がそうだからどうしようもない。女の子と何もなくなってから25年経つ。ちょっと寒いか? そうだそうだ寒いぞ(僕に対する応援歌と受け止めたい)。

 今日は作業所で、周りの人たちに立体感があった。それだけ、恐い気もした。若い女性も、怒ってたら恐いかもと思った。僕は自意識過剰なことがあるので、鬱陶しく思っているだろう。

欲しくないといったけれど、嘘だった。

 作業所に、僕と同じ立場の女性がいる。同じ立場というのは、自分の場所が定まらず危うい立場という意味です。

 その女性が、先輩女性と口げんかしていた。先輩女性は成熟しているので他の人の精神状態が分かってしまう。そこを見透かされた格好の口げんかだと僕は思った。

 
 その女性の口げんかを見ていて思ったのは、その女性は不満を持っている。どこに対してかはわからないけれど不満がある。

 そこに僕は自分と同じ構造を見た。





☆☆ 不満を持つ人は、その人のどこかに課題を持っていて、その課題を乗り越えなければならない。その課題があるゆえに周りから突っつかれる。だからまた不満になる。でも、こう書いていてわかると思うけれど、その人は課題を乗り越えなければならない。でないと袋小路から出られない。これはその女性を見ていて思ったこと。


 だから僕にもそっくりその言葉を向けられる。僕は不満を持っている。だから乗り越えなければならない課題がある。袋小路から出るためには、課題と向き合い解決しなければならない。今の僕にとっての課題は自分の男と、周りの女性。







 僕は若い女性がほしかった。なのに好きでないとか言った。それは大嘘だ。

 若い女性がほしいといっても、叶えられないので結果を先取りして、欲しくないといっている。あの柿うまそう。大木の枝になっていて手が届かない。食えないからまずいというのと同じだ。本当は食いたくてしょうがない。欲しくてしょうがない。でも手に入らないならまずいと言おうとしている。


 僕は若い女性がほしい。たわわに熟れてなっている。僕は欲しい。でも無理だろう。ここが屈折しているところ。だからその女性が欲しくないと言い張る。これが僕の構造。

素直に欲しい。でも無理かもね、というくらいに言えばいい。それが自分に対する手向(たむ)けだ。(縁起の悪いことを言おうとしているのではないです。言いがかり上、そういう表現になった。)


 

 

9/1 Fri /題あり:プロセス管理:りっしんべんにこころ

9/1(Fri)

 自転車をこいでいる道路の先に、一段低いところで草野球をしていた少年たちの野球ボールが転がってきた。自転車を置いてねげ返そうとして、フェンス直撃で戻ってきた。もう一回投げるけれど、少年たちのいるところより右側に落っこちた。低い柵の僕から見て右側。少年たちは跨がないといけない。

 どうにも2回投げたけれど、予期せぬ方向に飛んでいく。僕としてはきちんと投げ返すつもりだったけれど、あらぬほうへ行ってしまった。父とキャッチボールをしていた10年くらい前はできていたけれど、全くやっていなかったので、全くのど素人になっていた。ちょっとショック。壁ぶつけでもしようかなと思った。




8/31(Thu)

 今日も作業所は走れていなかったと思う。ちょっと調子がいいかなと思ったら、女に対する性欲が前面にきてしまい、作業に集中できなくなった。最初の1時間半くらいはよかった。あとはよくなかった。




中段(本題というほど突き抜けない)プロセス管理



 最初の作業の1時間半で感じたのは、僕はできる人になろうとしていたこと。それがわかったのは、ゆっくり歩くみたいに、ちょっと違う、だいぶ違うかもしれない、プロセス分解したから。作業を細かく分解して、分けて、1動作・1動作ずつ理解しながら進めようとしたから。

 作業を分解して、一つ一つ理解して、判断して、動かしていくと、(プロセス管理)、できる人になる必要はない。確認作業に頭を使い、動作に神経を使っていく、プロセスに神経をいきわたらせる。




 僕にとってのできる人は頭を使わず、何も考えず ひょいヒョイ できる人。でもそんな人がいるわけがなかった。そしてそんなやり方堕落だ。僕は間違ったできる人像を頭に描き、そういう間違った人になろうとしていた。




 その1時間くらいは頭をだいぶ使った。たぶん正解のやり方だったと思う。前の作業所、革細工の時にはやっていたやり方。

 僕は自分ができないから先を焦って急いでいたかもしれない。人が多い作業所だし、圧倒されている部分はある。


 
 一足飛び(いっそくとび)は止めたほうがいいらしい。全部の動作をプロセス管理でやって、無我夢中で先を突っ走る、僕にとってのできる人・間違った像は捨てたほうがいいらしい。僕のできる人(ひと)像(ぞう)は大間違い。一番小さい動作、1動作を積み重ね1単位にする、そういった分解した動作とその集成で一つの動きを作るのが僕にとっての正解。








別段



 女に写生するのは正しいのだろうが、女に向かう、その向かい加減が抑圧している僕は折れている。真っ直ぐ(まっすぐ)女にベクトルが向かって行っていない。

 女と精巧するのは正しいのだろうが、女と直に(じかに)向き合う自信が折れている。女に対するベクトルがネジ折れている。


 疑問はある、写生すればいいのか、精巧すれば男なのか。可能ではあるが、行っても男ではない気がする。能動力が男の証か?


 関係性が男の証か? 写生力か(オットセイかとも思えるが)? 精巧力か?


 僕が男になるカギはどこにあるのか。ゆっくりあるくで軸がブレるのは、男・性・ペニスと密接なのはわかっている。

 自分の男と向き合うというのは、女という媒介が必要か? 僕は男としての確固たる像を得ていない。未分化、線が不明瞭。
 男は、やはり自分の身体の声を聞くことか? 抑圧を行っている身体自身の言いたい喋りたい声に耳を澄ますことか?


 身体の声を聞けば、密接度は深まると思う。この辺怪しい、臭い、脈ありと思うけれど。カウンセリングの先生の目指している線とも重なると思うけれど。

雑記:お久しぶりです。

 低調でした。ご無沙汰です。

 土日は作業所から休みをもらい、今日も休みでした。オネアミスの翼を見ました。


・ 8億かかっているとからしい。落ちこぼれが宇宙飛行士になるという、その男の日常から語られるお話だと思う。

 宇宙飛行士の業務を全うできるのだから、落ちこぼれでもなかったのだろう。王立宇宙軍の同僚も打ち上げに全力を挙げて取り組んでいく。

 女、暗殺者、(物乞いが登場するのは珍しいのでは)、いろんな娯楽の要素が盛り込まれている。志が高いと思う。最初と最後は絵コンテというのか、イラストで進められる。そのイラストの筆さばきが半端でなく走っていると思う。

 僕はとても楽しく充実した時間を過ごし満足している。この作品の出来が良かったからだろう。


 細部に神経が行き届いていた絵だったのだろう。音楽はもちろん素晴らしかった。窪田さんの作曲だったのですね。(戦争)


☆☆ 人間が人間の手で宇宙に人を送り出し、回収する。その人力の素晴らしさと、人間力のすごさを感じた。アポロの話が身近に感じられた。人間はすごいなと単純に思って感じた。

 

・ 朝と3時ころ、草むしりをした。カメムシの見慣れないのが葉っぱにいた。ミミズも大きかった。昆虫君は好きだ。

 

・ 月・火 作業所の作業は走っていなかった。走れなかった。低調だった。
 作業所で、ボスの許可をもらい、織り教室で習った、かがり縫いをやってみた。ボスはおしゃれだみたいなことを言われた。僕は試せて満足したけれど、モタモタしてしまった。


・ 朝の肩回しとゆっくり歩くが、作業所に通う日は楽しみになっている。その日の調子も占える。だいたい集中具合でその日の調子が読める。



・日曜は、アマゾン 愛のヨガ:本 のレビューを読んで、 竹下正敏のyoutube 映像を見た。本:話を聞かない男、地図が読めない女 がベースらしい話でとても楽しかった。(竹下雅敏 家族の絆〜夫婦(1) (2009.4.19 名古屋) 男と女の価値観(1)
)これはよかったが、本家のページの7つのチャクラの話はあまり良くなかった。そして同氏の別タイトルも興味をそそられなかった。僕とは志向が違う。ついていこうという気はしなかった。

 ただ、ヨガを馬鹿にする気もなくなった。チャクラを開く、ヨガ本体のやり方は覚えてみたいと思った。トラウマをヨーガで克服する:本も、マインドフルネスとかぶる気がする。ちょっとしか齧っていない。


 プリンスのパープルレインアルバム:新しいのを聞いている。よいも悪いもないけれど、興味深い。

 図書館で本を読んでいない、あまり余裕がなかった。いっぱいいっぱい。まわすだけで限界にきてしまう。

25 Fri /窪田晴男のギター聞きたかったよ。

25 Fri


2pac vs ryuichi sakamoto - til the end of honneamise (オネアミスの翼 2pac

これは何なんでしょうね。かっこういいです。(?被せて、同時スタートして、スピードを合わせたのか? 疎いので。)

 このラップはメチャクチャすごい。

 ゲオの宅配レンタルで、オネアミスの翼は揃えることができました。CD:コンプリートコレクションも。



 ・作業所は調子が悪かった。走れていなかった。

 朝の公共でのゆっくり歩くは、身体の声を聞こうとした。身体の発する声に耳を澄まそうとした。どういう声か。少し感じられてうれしかった。


BSアニメ夜話  「王立宇宙軍 オネアミスの翼山賀博之 (2006年)

 これもいつか見たい。






24 Thu

オネアミスの翼(坂本作曲) Battle というタイトルらしい。

 このギターメロディーが無性に聞きたかった。窪田(パール兄弟)のギター。


・ 昨日は、動物愛護ボランティアに出かけた。

 作業もしたくなく、ねこをかわいがりたいとも思わなかった。でもやることを終え、猫とリラックスタイムをもらった。

 ねこを見ていて、猫たちの中でのたたかいがあり、自分のボジションを作るのも大変そうなのが分かった。人間社会と同じらしい。



 子猫をなで、耳とか触ったり、僕が触られたりして、気持ちよくなった。性的な部分が入っていたかも。
 子猫は噛んできた。軽く、噛んでくる。コミュニケーションらしいけれど、僕は背中をなでたりした。




 成猫も撫でた。なでられるのは当たり前だぞと、尻尾を立てたりして威厳を見せていた。

 他の成猫にはタッピングをしてみた。左右の足を小刻みに軽く触れるを繰り返した。猫は首を左右に小さく振り出した。しばらくして、立ち上がり、ソファーへ移動して自分の体を舐めていた。お気に召さなかった様子だった。






・カウンセリングは、父親に深夜スケベ番組を高校時代に見ていて平手びんたを見舞われたことについてEMDRをしていただいた。


 調子があまり良くなかったからか、疲れていたからか、カウンセリングがどう移り変わりながら進んだか説明できない。
 ただ、僕の家族が性に閉鎖的で、父が性の部分を認めておらず、僕にもそのトバッチリがきているという、そういう一族の負の部分の見えていることを話した。治療していただいた。



 僕は、その日、お尻の格好いい女性がいたりしたとか、話した。あまり高級ではなく、下世話な話だったが。先生も、性的に素敵な人はいると、僕の性を抑圧する立場から開かれたところに出るよう導かれようとされていたのだろう。

 ゴダールの女は女であるの、見ていない映画の筋を得意げにしゃべったりした。先生はあまり心を動かされなかったようだが、僕は見たい映画になっている。




 先生には、話を進めながら、EMDRをしてもらった。性の話題は、僕の病気に直結していて、少し苦しく、前進していくのが感じられた。苦しいのはよくなることの必要部分だから、いい傾向だと感じている。

今回は、僕にとってとても有意義で、先生の力の影響をもらい、治療していただいてとてもありがたかった。僕一人ではできないことを、第3者である先生に先導していただき、トラウマの部分を治していただいている。

全部僕の力の及ぶ範囲外のことです、だから先生の行為は僕を別の場所へ連れて行ってもらっています。
ありがとうございました。



 昨日は眠く疲れていて、8時に寝ました。4時起床。





・今朝は庭で、アゲハの幼虫2匹を見た。緑に黒縞で、オレンジのベロを出していた。雀にやられないよう、アシタバの葉の陰に隠しておいた。ミミズも雨露の出ている草の陰にいたのを、土の中へ埋めておいた。

ワラジムシやヤスデ、ゲジなんかもいた。


・公共空間で、ゆっくり歩くをやっていて、一本の線の上を歩くイメージでやったけれど、軸がぶれる。なぜかなとおもったけれど、これはペニスを僕が疎外しているからだと思われた。自分の所有物として僕の活動範囲に含まれていないのが原因だと思う。自分のものでありながら、管理下にない。

 そういえばノルポサイトで3日連続くらい火星へ飛んだけれど、こういう映像に欲情し、こういう映像を足しげく見に行くというのは、普段の生活で噴出してしまい、よくないのがわかった。やむを得ずという範囲に留めるが正解だとボンクラ頭でも理解できた。(普段の生活に支障が出た。隣の席の女性を性的に意識した件)
 人間に裏も表もないようだし。全部が表(おもて)だ。

 僕は情けなく、格好悪く、ドロトロと地面を這いながら進んでいる。月が西から出てきて、僕は地面をミミズ君にあいさつしながら、頭をぶつけながら進む物体のような。よくわからないヘンテコリンな。月を食らう、星に喧嘩を売る存在だ。(よくわからないことをいいけむに巻いているのか?)
 

裂き織り+下に見ている幾人かの周り


 結果から言うと、今日は絶好調だった。

 裂き織りに集中して取り組めた。昼食休みには織り機を別に移動するけれど、皿洗いを終えて取りに行って、遠くから織ったのを見たけれど素敵だった。自分でいいなあと思えた。ちょっとうれしかった。

 それでなおさら午後の作業に集中した。細かい修正もきちんとし、丁寧にやったつもり。(自分で近くで見ると雑なのかなあと不安もあるが)

 集中したので疲れたし、一生懸命だった。本当は裂き織りのことは何もわかっていないけれど。先生に習ったいくつかのことを繰り返すのみだが。やるにあたって、色の明暗は気を付けている。それが僕にできる今の最低限で、最大の武器だと思っているが、肩に力が入りすぎか。


 皿洗いをしていて、女が割り込んできて手を洗い出した。僕が皿洗い、ゴミだし、など雑用・下に見やすいことをしているかららしかった。そう後で気づいた。この手の女が4人くらいいることにも気づいた。ありがたーーーい事だった。できるだけたたかっていこうと思う。その皆さんも覚悟してね。僕ちゃん褌を締めて頑張るよーーーん。真っ赤かもね。


・ 図書館で、1時間裂き織りの本を読書した。今日は道具の話で、次回からデザインに進むことになる。これからが面白いのかな?

 
ショパンのBerceuse, Op.57をSpotifyで聞き比べて、僕は、Murray Perahia という人を見つけた。本当に耳だけで選んだ人。肩書き知らん。笑顔でこっち見て写っているジャケが頼りだよん。おじさんのピアノを聞こうと思う。ぼくもおじさんだよ。

負けの日(調子が悪かった)

日本ソマティック心理学協会

読みたくなる本がたくさん紹介されていて、刺激を受けました。

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 今日の作業所は、隣の女性を変に性的に意識したところから始まり、皆に強烈に意識されているのを感じた。

 交通機関に乗って帰るとき、今日は絶不調、調子の悪い日なのだとよくわかった。徹底的に戦おうとした。その過程で、敵が最低でも一人は意識された。あとはそんなに突っ込んでくる感じはしなかったけれど、怖いのでよく意識を巡らせ、探りを四方に向けようとした。

 簡単に言うと、防戦一方の日で、負けていて、苦しくて、不利で、攻め込まれないようにしなければいけない日だった。

 
 僕にとってはよくある、月に一度は最低訪れる日が今日だったというだけのこと。

 その過程で、犬死はやむなしとちらと浮かんだ。ここは結構大事で、守りきろうとか、生き延びようとかいうより、ダメでも捨てる気持ちは必要になってくる。その中での、犬死は積極的に完全敗北を認めることになり、自分の限界を認めることになるので、大事になってくる。不利な日には、犬死を許容することは必須の条件だと思う。


 嫌な、逃げたい、来てほしくないけれど、必ず来る不利な日だった。家に帰って、周りの学生が騒いでいて、首は伸びた。伸ばすことができて、不利から脱出した。疲れる、めんどい、しんどい、やはり来たなという日が終わった。図書館へはとりやめた。





 僕の場合、調子が悪い日があるから、首は伸びるし、よい日も来る。この両面はどちらかだけで成り立たず、両方が補い合っている。だからなおさら、受け入れる必要がある。

 嫌な日だった。


 去年のブログでは、8/19(FRI)に調子が悪くなっていて、同じ間隔で動いていた。過去の調子は参考になる、と思った。


・ 今日は久しぶりに朝、草取りをした。やたらとカラスが鳴いていて、調子の悪い日の前兆だったのか?

 久しぶりにやると、おもしろかった。草いきれを吸い込んだりして。1か月ぶりくらい。